音を、消さない
痛み

朗読で聴く
第一章 輪郭
湯浅久子は六十八歳になった。
夫が亡くなって六年になる。以来、市営住宅の一室で一人で暮らしている。娘は隣の市にいて、月に二度ほど寄る。
昼のあいだ、痛みは紛れている。
紛れているというのは、ないという意味ではない。ある。ただ、輪郭がぼやけている。買い物に行ったり、洗濯物を干したり、テレビをつけていたりすると、どこがどう痛いのかがはっきりしない。
だから昼のうちは、用事を減らさない。減らすと、その時間が静かになる。
友人と会うのも、月に何度か続けている。会って話しているあいだは、いちばん薄い。帰ってきて玄関の鍵を閉めた音のあと、少し戻る。
夜になって、家が静かになると、輪郭が出る。
出るという言い方を、久子は自分にだけしている。ぼんやりしていたものの縁が見えてきて、どこからどこまでがそれなのかがわかる。
わかると、そこにあることを一晩じゅう知っていることになる。
昼のあいだも、あることは知っている。ただ、知っているだけで済んでいる。夜は済まない。どこがどう痛いかを、一つずつ確かめてしまう。
確かめたところで、何かができるわけでもない。
姿勢を変えてみることはある。枕の高さを変えたり、膝の下に何か入れてみたりする。効く日もあるし、効かない日もある。効いた日と効かなかった日の違いは、いくら考えてもわからない。
わからないので、久子はもうあまり考えない。
第二章 だから、つける
だから、ラジオをつける。
夕食を片づけたあと、居間の低い机の上の小さなラジオをつける。局はどこでもいい。人が喋っている番組のほうがいい。音楽だけだと、曲の切れ目で静かになる。
音があると、薄れる。
薄れるのであって、消えるのではない。痛みの大きさは変わっていないはずだ。ただ、輪郭がまたぼやけて、昼のときの感じに近くなる。
消すと、戻る。
これは何度も確かめた。試したいわけではなく、うっかり消したときに毎回そうなるので、わかった。
戻るまでには少し間がある。消してすぐではない。三十秒か、一分か。静かになったことに体が気づくまでの時間だろうと久子は思っている。
その一分のあいだに、また鳴らせば戻らない。だから手が届くところにラジオを置いてある。
だから久子は、寝るまで音を消さない。
どうして音があると薄れるのかは、わからない。気が紛れるから、というのがいちばんありそうな説明で、久子もたぶんそうだろうと思っている。
思ってはいるが、気が紛れているという感じもしない。ラジオの中身は聞いていない。翌朝、何を話していたかを一つも覚えていない日がほとんどだ。
聞いていないのに効く。それが少し不思議で、不思議なまま十年ちかく続けている。
第三章 一時間
眠るまでの一時間、手順が決まっている。
九時にラジオをつける。台所の片づけの残りをして、風呂に入る。出てきたら布団を敷く。薬を飲む。歯を磨く。
そのあいだ、ラジオはずっと鳴っている。風呂のあいだも、脱衣所のドアを開けて、聞こえるようにしておく。
布団に入るときに、いちばん小さい音まで下げる。消しはしない。
朝までつけたままのこともある。電気代のことは、娘に言われたことがある。久子は、つけっぱなしで寝ちゃうのよ、と答えた。それも本当だ。
旅行に行ったとき、宿の部屋にラジオがなくて困ったことがある。テレビをつけて寝た。テレビでもいいことが、そのときわかった。
わかってからも、家ではラジオにしている。音が小さいほうがいいからだ。
本当のことを言って、本当のところを言わないでいる。
嘘はついていない。つく必要もない。夜にラジオをつけるのは事実で、つけっぱなしで寝るのも事実だ。そのうしろにもう一つあることを、言い足していないだけだ。
言い足すと、話が長くなる。長くなったところで、誰も何もできない。
恵は忙しい。仕事も家のこともある。月に二度寄ってくれるだけで十分だと久子は思っている。
寄ったときに、母の夜のことで気を重くして帰ってもらう理由がない。
第四章 習慣
娘の恵は、母がラジオを聴くことを知っている。
寄るといつも鳴っているので、当然知っている。一度、よく聴くのねと言われて、久子は、夜はラジオを聴くのが習慣で、と答えた。
恵は、いいことじゃない、と言った。一人だと静かすぎるものね、とも言った。
久子は、そうねえ、と答えた。それ以上は言わなかった。恵は次の話に移って、孫の受験のことを話しはじめた。
誰も間違ったことを言っていない。
一人暮らしの年寄りが夜にラジオをつけるのは、よくある話だ。寂しさを紛らわすため、というのが世間の説明で、恵もそう受け取っている。
合っているが、当たってはいない。
久子は寂しくない。夫がいたころも、夜は静かだった。夫は無口な人で、二人で黙って座っている夜がいくらでもあった。静かなのが嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ、静かなのが好きだった。それが使えなくなったというのが、久子にとっては正確なところだ。
嫌になったのは、静かにすると輪郭が出るようになってからだ。
いつからかは、はっきりしない。夫が亡くなったころには、まだこうではなかったと思う。三年くらい前からだろうか。
思い返しても、始まった日というものがない。ある時期から、静かなのが前より長く感じるようになって、そのうちラジオをつけるようになった。
第五章 気のせいではない
医者にはかかっている。薬ももらっている。
痛みがあることは、久子も医者も知っている。検査の結果も出ている。だから、これは気のせいではない。
夜になると強くなるのか、と聞かれたことがある。久子は、強くはならないと思う、と答えた。医者はうなずいて、それ以上聞かなかった。
強くならないのに、夜のほうがつらい。
このことを、久子はうまく言えなかった。大きさは同じで、見え方が変わる、というのが近いが、そう言っても伝わらない気がした。伝わらないと、たぶん薬が増える。増えても、輪郭は消えない。
――ラジオの音があると、薄れる。
だから久子は、音のほうで対処している。
対処という言葉も、本当は少し大げさだ。治すのでも、減らすのでもない。ただ、輪郭が出ないようにしているだけで、痛みのほうには何もしていない。
何もしていないことを、久子は失敗だとは思っていない。
薬は薬で飲む。ラジオはラジオでつける。二つは別のことで、医者に話すのは薬のほうだけでいい。
自分でできることが一つあるというのは、悪くない。薬は医者が決める。ラジオは久子が決める。決められるほうが一つあると、決められないほうも少し扱いやすくなる。
これも、誰にも言っていない。
エピローグ
九時になる。久子はラジオをつける。
誰かが天気の話をしている。聞いてはいない。鳴っていればいい。
布団に入って、音をいちばん小さくする。消さない。
――静けさを、持てなくなった。
あなたにも、消せなくなったものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所