そのあいだ、板書する
痛み

朗読で聴く
第一章 授業の途中で
辻本悠は四十一歳になった。
県立高校で国語を教えている。担任は二年三組。授業は週に十八時間ある。
授業の途中で、痛みが来る。
いつ来るかは、わからない。前触れもない。始まって五分のこともあるし、終わりぎわのこともある。来ない日も月に何日かある。
来ない日が続くと、治ったのかと一瞬思う。思ってから、思ったことを打ち消す。前にも同じことを思って、次の週に来た。
期待しないほうが、来たときに楽だ。それも六年で覚えた。
来ると、二十秒ほどで引く。
二十秒というのは、悠が数えたわけではない。何度も来るうちに、だいたいそのくらいだとわかった。長い日でも三十秒はない。短ければ十秒で終わる。
終わりが必ず来る、ということだけは、六年でわかっている。わかっていても、来ている最中には長い。
その二十秒のあいだ、悠は黒板のほうを向く。
背中を向けて、いま話していたことの続きを書く。書いているあいだに過ぎる。書き終わって振り返ると、たいてい終わっている。
誰も気づかない。
気づかれたことは、この六年で一度もない。授業のあとに、先生さっき大丈夫でしたか、と聞かれたことがない。
気づかれないことが、悠の仕事のうちの一つになっている。
仕事のうちの一つ、という言い方を悠は自分にしかしない。授業をすること、テストを作ること、面談をすること、そして気づかれないこと。四つ目だけ、勤務時間に入っていない。
入っていないが、いちばん手が離せない。
第二章 字
書いている字は、少し大きくなる。
悠はそれを自分で知っている。あとで自分の板書を見ると、そこだけ字が大きい。力の入れ方が変わるのだろうと思っている。
生徒は気づかない。字が大きいほうが見やすいので、むしろ都合がいい。
一度、後ろの席の生徒に、先生の字は途中から見やすくなる、と言われたことがある。悠は、そう、と答えた。その生徒はそれ以上何も言わなかった。
いちばん近いところまで来た言葉が、それだった。
あのとき悠は、一瞬だけ、この生徒には言ってもいいかもしれない、と思った。思っただけで、言わなかった。言えば、この生徒は次から悠の字を見る。見られると、字が書きにくくなる。
見られながら書く二十秒は、たぶん二十秒では済まない。
板書のあいだ、悠は喋り続ける。喋りながら書けば、間が空かない。間が空くと、生徒がこちらを見る。
だから、板書に移るタイミングも決めてある。文の途中では向かない。一つ言い終わってから向く。そうすれば自然に見える。
自然に見えることが、この二十秒でいちばん大事なことだ。
板書の内容も、そのために少し余分に用意してある。書くことがないときに向くと不自然なので、いつでも書ける言葉をいくつか持っている。今日の要点、とか、次の時間にやること、とか。
生徒はそれを、丁寧な先生だと受け取っている。
第三章 説明しない
悠は、生徒にも同僚にも、これを話していない。
話さない理由は、面倒だからだ。
話せば、心配される。心配されると、次の日から見られる。見られると、二十秒が二十秒で済まなくなる。誰かが見ているところで痛むのは、一人で痛むより長い。
これは経験から知っている。
それに、話したところで相手にできることがない。薬の名前を聞かれ、病院を勧められ、それで終わる。悠はもう薬を飲んでいるし、病院にも行っている。行ったうえで、これが残っている。
二年前、職員室で来たことがある。隣の席の教頭が、辻本先生どうしました、と言った。悠は、なんでもないです、と答えた。
なんでもないです、と言うのに、たぶん十秒かかった。その十秒のあいだ、痛みは止まらず、教頭の顔もこちらを向いたままだった。
そのあと三日ほど、教頭は悠を気にしていた。悠は三日間、いつもより丁寧に元気だった。
あれ以来、職員室でも向きを変えるようになった。
職員室には黒板がないので、代わりに書類のほうを向く。机の上のものを見て、少しのあいだ動かないでいる。考えている人に見える。
考えている人に見えるというのは、便利だ。教室でも職員室でも使える。
第四章 顔
人前にいるあいだ、悠は顔を作っている。
作っているといっても、笑顔を貼りつけているわけではない。ただ、痛みが顔に出ないようにしている。眉と、口の端と、目のまわりだ。
これがいちばん疲れる。
顔を作るというのは、力を入れることではなく、動かないようにすることだ。動いてしまいそうなところを、そのつど押さえる。押さえているあいだ、ほかのことも同時にやっている。板書も、質問への答えも、教室の後ろで喋っている生徒への注意も。
どれも普通にできる。できるので、問題は起きない。
問題が起きないから、誰にも言う必要がない。言う必要がないまま、六年たった。
痛み自体は二十秒で終わる。顔は、授業のあいだずっと構えている。いつ来るかわからないので、来ていないときも構えている。
週に十八時間、悠は顔を構えている。
厳密には十八時間ではない。休み時間も廊下ですれ違うし、職員会議もある。三者面談の週は、もっと長い。
構えていない時間のほうが、一日のうちでは短い。
だから休みの日は、悠はあまり出かけない。出かけると、そこでも構えることになる。家にいれば構えなくていい。妻はそれを、出不精だと思っている。
生徒は、辻本先生は落ち着いている、と言う。怒らないし、慌てない、と言う。
誰も間違ったことを言っていない。
悠は実際、生徒に対して落ち着いている。落ち着いていないと、顔が持たない。
怒らないのも同じ理由だ。怒ると、顔が全部動く。動かしてしまうと、そのあと戻すのに時間がかかる。だから悠は、怒りそうなときは声を低くして短く言う。それが生徒には、冷静だと映る。
合っているが、当たってはいない。
第五章 落ちる
授業が終わって、職員室に戻る。
自分の席について、誰も見ていないことを確かめてから、悠は顔をやめる。
顔が落ちる、と悠は自分で言っている。落ちるという言い方が正しいかはわからないが、そういう感じがする。持ち上げていたものを、下ろす。
下ろすと、少し楽になる。楽になってはじめて、それまで持ち上げていたことに気づく。
――背中を向けているあいだに、過ぎる。
家に帰ってからも、悠は顔を作らない。妻はそれを知っていて、何も言わない。悠が黙っているのは疲れているからだ、と思っている。
半分は当たっている。
いつか話すかもしれない、とも思っていない。話す機会は何度もあった。そのつど、話さなかった。話さない理由は毎回ちゃんとあって、理由があるうちに六年たった。
残りの半分は、まだ誰にも言っていない。言わないまま、たぶんこの先も教える。
エピローグ
次の授業のチャイムが鳴る。
悠は教室に入って、顔を持ち上げる。
痛みより、顔のほうが疲れる。
――そのあいだ、板書する。
あなたにも、人前で作っているものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所