床に、足をつける
痛み

朗読で聴く
第一章 順番
エレン・ボイドは六十二歳になった。
アメリカの、平らな土地にある小さな町に住んでいる。夫のフランクは五時に起きて、先に台所へ降りる。エレンが起きるのは六時前だ。
目が覚めてから床に足をつけるまでに、少しかかる。
順番は決まっている。
まず、あお向けのまま右の足首を十回まわす。左は五回でいい。それから膝を三回ずつ曲げて伸ばす。曲げるときに息を吐く。
次に、右側を下にして体をねじり、腕で押して上体を起こす。この起こし方以外でやると、腰のところが遅れてついてくる。
右側を下にするのは、左だとうまくいかないからだ。なぜ左だとうまくいかないのかは知らない。何度か左でやってみて、うまくいかなかったので右にした。それだけの決め方だ。
医者に教わった順番ではない。自分で見つけた順番だ。
起きたら、ベッドの端に一分すわる。
すわっているあいだは何もしない。壁のほうを見ている。壁には何もない。
何かを考えているわけでもない。考えると、すわっている時間が短くなる。短くなると、立ったときにうまくいかない。だから何も考えないようにしている。
うまく何も考えられない日もある。そういう日は、もう三十秒すわる。
それから、床に足をつける。
第二章 朝がいちばん硬い
朝がいちばん硬い。
夜のあいだ動かさないので、そうなるのだろうとエレンは思っている。思っているだけで、確かめたことはない。
硬いというのは、痛いのとは少し違う。動かすと痛い、というほうが近いが、それも正確ではない。動かさなくても、そこにあることはわかる。
言葉にしようとすると、どれも当たらない。
しびれる、でもない。だるい、でもない。重い、が一番近いが、重いものはどければ軽くなる。これはどけられない。
どけられないものを言う言葉が、エレンの知っているかぎりない。
だからエレンは、人に話すときは「朝はこわばるのよ」と言う。それで通る。
通ったあと、相手はたいてい、私もそうよ、と言う。それも本当だろうと思う。エレンのほうも、そこで話を終わらせたいので、そうよね、と答える。
合っているが、当たってはいない。
当たっている言い方を、エレンは持っていない。持っていないことに困ってもいない。困るのは説明したいときだけで、エレンは説明したいと思ったことがない。
第三章 数えない
どれくらいかかるかは、数えない。
一度だけ、時計を見ながらやってみたことがある。十年くらい前だ。
長かった。
実際に長かったのか、数えたから長く感じたのかは、わからない。ただ、その日は一日中、朝のことを引きずった。
それきり数えていない。
数えないと決めたわけでもない。次の朝、時計を見なかった。その次も見なかった。見ない朝が続いて、いまになっている。
時計は寝室に置いていない。フランクの携帯が枕元にあるので、時刻を知ろうと思えば知れるが、見ない。見ないのは意識してのことだ。
順番だけを数える。十回、五回、三回、一分。回数は数えるが、時間は数えない。
一分も時間ではないか、と言われれば、そうかもしれない。ただエレンにとって、あの一分は長さではなく回数に近い。心の中で六十まで数えるのではなく、すわって、落ち着いた、と感じたところで立つ。それを一分と呼んでいる。
だから日によって、たぶん四十秒のときも二分のときもある。それでいい。
この違いは、エレンにとってははっきりしている。回数は自分が決めたものだ。時間は向こうが決める。
自分が決めたものだけを数える。それが、この十五分のあいだにエレンがやっている唯一のことだ。
医者にかかったことはある。何度もある。もらった薬も飲んでいる。ただ、朝のこの十五分については、医者に話したことがない。話すことがないからだ。順番があって、それを守れば起きられる。それ以上に言うことがない。
第四章 誰も見ていない
フランクは、エレンが朝どうしているかを詳しくは知らない。
先に降りているので、見ていない。エレンが降りてくるのが日によって少し遅いことは知っているが、それだけだ。四十年一緒にいて、そういうことは互いに聞かない。
子どもたちも知らない。二人とも家を出て、電話では元気だと言う。実際、元気だ。
エレンは働いている。図書館で週に四日、本を棚に戻す仕事をしている。棚は高いところも低いところもあって、低いところは膝を使う。仕事のあいだは、朝ほど硬くない。
動いているほうが楽なので、休みの日のほうが体は重い。休みでも、朝の順番は同じようにやる。
だから、誰にも見えていない。
見せていないのではない。見えるところで起きていないだけだ。
もし誰かに見られたら、エレンは少し困るだろう。困るのは、見られること自体ではなく、そのあとで何か言われることだ。大丈夫かと聞かれたら、大丈夫と答えるしかない。それは本当だが、本当のところは伝わらない。
伝わらないやりとりを一つ増やすくらいなら、一人でやっているほうがいい。
一日の最初の十五分ほどを、エレンは一人で過ごしている。その十五分に何をしているかを、この家で知っているのはエレンだけだ。
第五章 最初の仕事
順番を変えると、その日が一日ずれる。
急いでいる朝に、足首を飛ばして起き上がったことがある。起きられた。歩けた。ただ、その日は夕方まで、体のどこかが後ろにいる感じが続いた。
二度目はやっていない。
急ぐ用事があるときは、十五分ぶん早く目覚ましをかける。そのほうが早い、ということを、あの一日で覚えた。
順番を守るほうが速い、というのは、はじめは変な話に思えた。手順を飛ばせば早く終わるはずだ、と普通は考える。実際には逆で、飛ばした日は一日じゅう取り返しにかかる。
この計算をエレンは誰にも説明したことがない。説明しようとすると、まず朝の十五分の話からしなければならず、そこがいちばん説明しにくい。
ずれるというのは、痛みが増えるという意味ではない。増えてはいない。位置が変わる。いつもならそこにあるものが、少し違うところにある。それだけで、一日が使いにくくなる。
――順番は、決まっている。
だからエレンは、順番を守る。
守っているうちに、これが一日の最初の仕事になった。仕事という言い方をエレンは自分にしかしないが、そう思っている。起きることが、その日いちばん最初にやり遂げることだ。
やり遂げたあとは、普通の朝になる。台所に降りて、フランクとコーヒーを飲む。
フランクは新聞を見ている。エレンは窓の外を見る。よく晴れる土地なので、たいてい明るい。
この時間のエレンは、朝の十五分のことを思い出していない。思い出す必要がない。終わったからだ。
明日また同じことをする、とも思っていない。明日になれば、体のほうが覚えている。
エピローグ
目が覚める。まだ暗い。
右の足首を十回まわす。膝を三回曲げる。体をねじって起きる。一分すわる。
それから、床に足をつける。
――一日の最初の仕事が、立ち上がることになっている。
あなたにも、毎日の最初にすることがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所