棚の前に、立つ
飢え

朗読で聴く
第一章 もう買わない
二〇二六年、野中和夫は七十一歳になった。
妻の芳子は六年前に亡くなった。息子は隣の県にいて、盆と正月に来る。近くに住んでいる娘が、週に一度様子を見に寄る。和夫は市営住宅の四階に一人で住んでいる。
もう、買わない。
通販をやめたのは、六十を少し過ぎたころだ。やめようと決めた日があったわけではない。カタログが届かなくなって、それきりになった。取り寄せる方法はいくらでもあったが、しなかった。
押入れの箱は、芳子が入院したときに娘が全部片づけた。中身は台所用品と工具と健康器具で、ほとんどが新品だった。娘は何も言わずに処分した。和夫も何も言わなかった。
金がないわけではない。年金と貯金で足りている。買おうと思えば、いまでも月に一度くらいは買える。
欲がなくなったわけでもない。
やめた理由は、和夫にもはっきりしない。ただ、カタログが来なくなったとき、取り寄せようという気持ちが出てこなかった。出てこなかっただけで、いらなくなったのとは違う。
そのころから、夕方に外へ出るようになった。順番がそうだったのか、たまたま重なったのかは、思い出せない。
第二章 棚
和夫は毎日、夕方の四時ごろに家を出る。
歩いて七分のところにスーパーがある。小さい店で、客はいつも数人しかいない。和夫はそこに入って、まっすぐ奥の通路に行く。
右から三つ目の棚の前に立つ。
缶詰と乾物の並んでいる棚だ。特に好きなものが置いてあるわけではない。よく買っていた棚でもない。いつのころからか、そこに立つようになった。
立って、棚を見る。
見ているといっても、品物を見ていない。棚の面のあたりに目が行っているだけで、あとで何が並んでいたかと聞かれても、缶詰と乾物だ、としか言えない。五年通っていて、それしか言えない。
何も取らない。取ろうと手が出ることもない。少し立って、それから通路を戻って、店を出る。何も買わずに出るので、店の人は不思議に思っているかもしれない。何か言われたことはない。
帰りに、外の自動販売機で茶を一本買うことがある。買わない日もある。それは棚とは関係がない。
雨の日も行く。傘をさして七分歩いて、棚の前に立って、また七分歩いて帰る。濡れて帰った日に、由紀に言われたことがある。そんな日に出なくてもいいのに、と。
和夫は、そうだな、と答えた。次の雨の日も出た。
行かなかった日は、この五年で数えるほどしかない。熱を出した日と、由紀が泊まっていった日だ。行かなかった日は、夜まで落ち着かなかった。落ち着かないというのは、苦しいのとは違う。ただ、その日が終わっていない感じが残る。
第三章 二十秒
立っているあいだ、静かになる。
体のどこかにずっとある、空いた感じが見えなくなる。見えなくなって、それから店の音が戻ってきて、ああ戻っているな、と思う。
二十秒だ。
店の中は明るくて、音楽が鳴っていて、レジの音がする。静かになるというのは、その音が消えるという意味ではない。音は最初から聞いていない。
和夫は数えていない。数えなくてもわかる。十七のときに一度数えて、それきり数えていないが、あれと同じ長さだということは体でわかる。
十七のときは、夜の台所で冷蔵庫を開けて、何かを一つ取って食べた。噛んでいるあいだの二十秒。
四十四のときは、カタログを見て電話をかけて、受話器を置いた。置いた直後の二十秒。
七十一のいまは、棚の前に立っている。立っているあいだの二十秒。
食べていない。買ってもいない。それでも、同じ長さだけ静かになる。
このことを、和夫は誰にも話していない。話す相手がいないのではなく、話しても仕方がないからだ。
芳子が生きていたころにも話さなかった。芳子は「趣味」だと思っていて、そのままでよかった。訂正したところで、芳子の中の押入れが少し不気味になるだけだ。
第四章 散歩
娘の由紀は、和夫が毎日出かけることを知っている。
寄ったときにいないことがあるので、知っている。一度、どこ行ってたの、と聞かれて、和夫は、そこまで、と答えた。
由紀は、散歩の習慣だ、と思っている。
弟に電話でそう話しているのを、和夫は台所で聞いた。お父さん毎日散歩してるから、まだしっかりしてるよ、と言っていた。
誰も間違ったことを言っていない。
七十一の男が毎日夕方に歩いて出かけて、七分歩いて、また七分歩いて帰る。それは散歩だ。体にもいい。由紀が安心する材料としても、正しい。
合っているが、当たってはいない。
散歩なら、店に入る必要がない。棚の前で立ち止まる必要もない。雨の日に傘をさしてまで行く理由も、たぶんない。
和夫は由紀にそれを言ったことがない。言えば由紀は心配する。心配させるほどのことでもない。
母がそうだったように、妻がそうだったように、娘も名前をつける。育ち盛りと、趣味と、散歩の習慣。三つとも違う名前で、三つとも間違っていない。
名前が三つ替わって、中身は一度も替わっていない。
第五章 五十四年
欲がなくなったのではない、と和夫は知っている。
歳をとると欲が減る、という話は何度も聞いた。実際、和夫は食べる量が減ったし、欲しいものも思いつかなくなった。まわりの年寄りもそう言う。
それとこれは別のものだ。
空いた感じは、五十四年、同じ大きさのままそこにある。十七のときと比べて、少しも小さくなっていない。大きくもなっていない。
変わったのは、埋めるやり方だけだ。食べる、買う、立つ。三つとも違うことに見えるが、二十秒は同じだった。
いまは何も入れていない。それでも二十秒がある。
これは、十七のときには考えられなかったことだ。あのころは、食べているから静かになるのだと思っていた。四十四のときも、買っているから静かになるのだと思っていた。
どちらも違った。何も入れなくても、同じだけ静かになる。
だから、入れていたものは、はじめから関係がなかったのだろう。食べ物でも品物でもなく、あの棚の前に立つように、あの冷蔵庫の前に立っていただけなのかもしれない。
――同じ大きさのまま、そこにある。
わかったからといって、どうということもない。
わかったのは五十四年ぶんの結果であって、これから何かが変わる材料ではない。和夫は明日も四時に家を出る。
あと何年これができるかは考えていない。歩けなくなったらどうするのか、という話でもない。そのときはそのときで、別のやり方が出てくるのだろう、という気がしている。
やり方は三度替わった。四度目があっても、二十秒は同じだろう。
エピローグ
夕方、右から三つ目の棚の前に立つ。
缶詰が並んでいる。何も取らない。
二十秒、静かになる。
――五十四年、同じ大きさのまま、そこにある。
あなたにも、ずっと同じ大きさのものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所