あなたの魂のテーマを探す に戻る

箱を、開けない

一九九九年、四十四歳。047と同じ人物。月に一度、通販で要らないものを買う。届いた箱は開けずに押入れに積む。閉じるのは受話器を置いた直後の二十秒だけで、そのあとは戻る。妻は「趣味だから」と言う。和夫は十七の夜の台所を覚えていて、これが同じものだと知っている。知っていても、二十秒は長くならない。

箱を、開けない

朗読で聴く

第一章 月に一度

一九九九年、野中和夫は四十四歳になった。

妻と、高校生の息子と、三人で市営住宅の四階に住んでいる。仕事は市内の部品工場で、二十年勤めている。

月に一度、和夫は通販で何かを買う。

カタログは新聞に挟まって届く。休みの日の夕方、和夫はそれを最後まで見る。見終わったら電話をかけて、一つ注文する。

買うものは決まっていない。

工具の一式のときもあれば、双眼鏡のときもある。健康にいいという枕を買ったこともある。血圧計を買ったこともある。どれも、和夫が必要としているものではない。

番号を控えたページに戻ることはない。控えた紙のほうを見て、そのままかける。

注文したら、受話器を置く。

置いてから、二十秒くらい、静かになる。

カタログを見ているあいだは静かにならない。見ているのは選ぶためではなく、電話をかけるまでの手順だからだ。手順を踏まないと、かけられない。

どのページで手が止まるかは、そのときによる。止まったところの番号を控えて、あとは最後まで見る。最後まで見てから、かける。

第二章 届いた箱

三日から一週間で、箱が届く。

和夫は受け取って、判を押して、玄関に置く。夜になってから押入れに運ぶ。

届く日は、だいたいわかっている。わかっているが、待ってはいない。待つのなら、届いた日に何かが起きるはずだ。届いても何も起きない。玄関に箱が一つ増えるだけだ。

開けない。

最初のうちは開けていた。買ったのだから使うつもりでいたし、実際に一つ二つは使った。工具の一式は、いまも台所の下に入っている。

いつからか、開けなくなった。

開けようと思わなくなった、というほうが近い。押入れに運ぶところまでが一続きの動作になっていて、その先が続かない。テープを切る理由が、和夫の中に見当たらない。

押入れの下の段は、いまは箱で埋まっている。

いっぱいになったら、どうするつもりなのかは考えていない。上の段にはまだ空きがある。それより先のことは、考える必要が出てきてから考えればいい、と和夫は思っている。

捨てようと思ったことはある。ただ、捨てるには開けなければいけない。開ける理由がないのと同じように、捨てる理由もない。だから積んである。

奥のほうに何が入っているかは、和夫にもわからない。ラベルを見れば書いてあるが、見ていない。見ようと思ったこともない。

第三章 中身

中身は、関係がない。

これは、和夫がはっきりわかっていることの一つだ。

注文の電話をかけているとき、和夫は品物のことを考えていない。番号を読み上げて、住所を言って、支払いの話をして、受話器を置く。品物の名前は、そのときにはもう頭にない。

二十秒、静かになる。

体のどこかにずっとある、空いた感じが見えなくなる。見えなくなって、そのあと台所のほうから水の音がして、ああ戻っているな、と思う。

届いた箱は、その二十秒の残りかすのようなものだ。残りかすなので、開ける必要がない。

十七のときは、食べていた。食べれば残らない。四十四になって残るようになったのは、手段が変わったからで、空いた感じのほうが変わったわけではない。

残るぶんだけ、こちらのほうが始末が悪い、とは思う。思うが、それも押入れの話であって、空いた感じの話ではない。

二つ注文しようと思ったことはない。

二つ頼めば二十秒が四十秒になるだけで、そのあとは同じだ。これは十七のときに知ったことで、四十四になっても変わっていない。

第四章 趣味

妻の芳子は、押入れの箱を知っている。

布団を出すときに開けるので、当然知っている。一度、こう言ったことがある。

これ、そのうち使うんでしょ。

和夫は、そのうちな、と答えた。押入れの襖はそのまま閉められて、その日はそれで終わった。

芳子はそれ以上聞かなかった。責めているのではない。押入れが少し狭くなっているだけで、家計に困るような額でもない。月に一度、五千円か一万円だ。和夫は酒を飲まないし、賭け事もしない。

芳子は親戚に、うちの人は通販が趣味でね、と話す。

誰も間違ったことを言っていない。

月に一度、何かを買う。それは外から見れば趣味だ。趣味というのは、必要でないものに金と時間を使うことなのだから、定義のうえでも合っている。

合っているが、当たってはいない。

趣味なら、届いた箱を開けるはずだ。

和夫は芳子にそれを言ったことがない。言うとすれば、開けない理由から話さなければならず、そこから先は言葉がない。芳子が困るだけだ。

そのうちな、で足りている。芳子もそれ以上は聞かない。

第五章 同じ二十秒

和夫は、十七の秋のことを覚えている。

夜の七時過ぎに台所へ降りて、冷蔵庫を開けて、右手で一つ取った。噛んでいるあいだの二十秒だけ静かになって、飲み込むと戻った。三日我慢して、何も小さくならなかった。

あれと、これは同じものだ。

食べるのと買うのでは、まるで違うことのように見える。金がかかるかどうかも、体に入るかどうかも違う。それでも同じだと言えるのは、二十秒が同じだからだ。

和夫が比べているのは、行いのほうではない。静かになっている長さのほうだ。

和夫はそれを、四十くらいのときに気づいた。カタログを閉じて受話器を置いたあと、静かになった長さが、あの夜と同じだと思った。思ったというより、体のほうが先に知っていた。

気づいて、何かが変わるかと思っていた。

変わらなかった。

気づいた次の月も、和夫はカタログを最後まで見て、電話をかけた。二十秒静かになって、戻った。長くも短くもならなかった。

二十七年のあいだに、和夫は結婚して、子どもができて、家を出て、工場を変えずに勤め続けた。その全部が、あの空いた感じの大きさを動かしていない。

嬉しいことも、しんどいことも、いくつもあった。息子が生まれた日のことはよく覚えている。その日の夜も、和夫は同じ大きさのそれを抱えて寝た。減ってもいなかったし、増えてもいなかった。

名前がついたわけでもない。あれが何なのかは、いまも言えない。二十七年たって増えたのは、同じものだと知っているということだけで、それは二十秒を一秒も長くしない。

――中身は、関係がない。

むしろ、知ってからのほうが静かになった。何とかしようとしなくなったからだ。

三日我慢したのは十七のときで、あれ以来、和夫は我慢を試していない。試さなくても結果がわかっているからではない。試すという発想が、もう出てこない。

天気を我慢する人はいない。それに近い。

エピローグ

今月もカタログが届く。

和夫は最後まで見て、一つ選んで、電話をかける。番号を読み上げて、住所を言って、受話器を置く。置いた手を、そのまま台の上に残している。

番号を読み上げているあいだは、まだ何も起きていない。置いた瞬間から始まる。

二十秒、静かになる。

――気づいても、変わらない。

あなたにも、気づいてから変わらないものがありますか。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所