もう一つ、食べる
飢え

朗読で聴く
第一章 もう一つ
一九七二年、野中和夫は十七歳になった。
夕食は六時半に終わる。父と母と妹と四人で食べて、母が片づける。和夫は自分の茶碗を流しに運んで、いったん自分の部屋に上がる。
七時を過ぎたころ、和夫はまた台所に降りてくる。
電気はつけない。冷蔵庫の扉を開けると、中の小さな明かりだけがついて、台所の床のあたりが少し見える。
右手を伸ばして、何かを一つ取る。
ちくわのときもあるし、夕食で余ったコロッケのときもある。何もなければ食パンを一枚取る。取ったら扉を閉めて、その場に立ったまま食べる。
毎晩、これをやっている。
いつからかは覚えていない。中学のころにはもうやっていた気がするが、確かではない。気がついたときには、夜の七時過ぎに台所に降りるのが決まりになっていた。
決まりというのは、和夫が決めたという意味ではない。決めたのなら、やめることもできるはずだ。そうではなくて、七時を過ぎるとそうなる、というだけのことだ。天気のようなものに近い。
第二章 腹は減っていない
腹は減っていない。
これは、和夫がはっきりわかっていることだ。夕食は足りている。母はよそう量を間違えたことがない。食べ終わったとき、和夫はいつもちゃんと満腹になっている。
満腹のまま、三十分後に台所へ降りる。
だから、これは空腹ではない。空腹なら、食べたいものがあるはずだ。
和夫は空腹も知っている。部活のあと、家に帰るまでの道で腹が鳴る。あれとは違う。あれは食べれば終わるし、食べているあいだも先のことを考えている。夜の台所では、先のことを考えていない。
ないのだ。
冷蔵庫を開けたとき、和夫は何を取るか決めていない。開けてから、そこにあるものの中から一つ選ぶ。選ぶといっても、比べていない。手前にあるものを右手で取っているだけだ。
何でもいい。
その、何でもいいということが、和夫には引っかかる。
うまいものを食べたいのなら、何でもよくはないはずだ。腹を満たしたいのなら、量の多いものを選ぶはずだ。どちらでもない。和夫が取るのは、いつも一つで、大きさもばらばらで、味も気にしていない。
好きなものが入っている日でも、和夫はそれを選ばない。選ばないというより、好きなものだということを、そのときは思い出していない。手前にあるものに右手が伸びて、それで足りている。
あとで思い出して、もったいないことをしたとも思わない。もったいないという気持ちは、うまいものを食べたいときのものだ。
第三章 二十秒
噛んでいるあいだだけ、静かになる。
静かというのは、音のことではない。台所はもともと静かだ。そうではなくて、体のどこかにずっとある、空いた感じが、噛んでいるあいだは消える。
消えるというより、見えなくなる。
その二つは違う、と和夫は思っている。消えたのなら、あとから戻ってくる理由がない。見えなくなっただけなら、見えるようになるのは当たり前だ。毎晩戻ってくるのだから、消えてはいないのだろう。
一度、数えたことがある。口に入れてから飲み込むまで、二十秒くらいだった。長くも短くもない。ちくわでも食パンでも、だいたい同じだった。
飲み込むと、戻る。
戻ったことに気づくのは、いつも一拍おいてからだ。飲み込んだ瞬間ではなく、そのあと台所の暗さが目に入ってきたあたりで、ああ戻っているな、と思う。
二つ目を取ろうと思ったことはない。
二つ食べても二十秒が四十秒になるだけで、そのあとは同じだ、ということを、和夫はどこかで知っている。試したわけではない。知っている、としか言いようがない。
だから一つで上がる。
上がってから、部屋で教科書を開く。開いてしばらくは、字が入ってくる。三十分もすると入らなくなるが、それは眠いからだ、と和夫は思っている。思っているが、確かめたことはない。
第四章 育ち盛り
母は、和夫が夜に台所へ降りることを知っている。
二階に上がる音と、階段を降りてくる音と、冷蔵庫の扉の音は、家中に聞こえる。母は居間にいて、テレビを見ながらそれを聞いている。
いつだったか、母が父にこう言っているのを、和夫は階段の途中で聞いた。
あの子は育ち盛りだから。
父は、そうか、とだけ言った。
妹は、またなんか食べてる、と言う。妹は四つ違いで、笑いながら言うので、それは責めているのではない。ただ、見ているという意味だ。
誰も間違ったことを言っていない。
むしろ、家の中でいちばん正しく見えているのは母だろう。毎晩の音を聞いて、育ち盛りだと言う。それ以上のことを言う理由が、母のほうにはない。
十七歳は育ち盛りだ。実際、和夫はこの二年で背が伸びた。母がそう思うのは自然なことで、和夫もそれを否定する理由がない。
否定する理由はないが、当たってもいない。
当たっていないということだけがわかって、では何なのかは、和夫には言えない。言えないことを、和夫は不便だと思っていない。名前をつけたところで、二十秒が長くなるわけではないからだ。
第五章 三日
一度だけ、我慢したことがある。
高校二年の秋だった。理由は特にない。毎晩のことがふと不思議になって、やめられるかどうかを知りたくなった。
一日目、七時過ぎに台所へ降りたくなったが、降りなかった。布団に入って天井を見ていた。空いた感じはそのままあった。
苦しくはなかった。台所へ降りないことは、思っていたよりも簡単だった。手が震えるようなことも、頭から離れないようなこともない。ただ、二十秒が来ないというだけだった。
二日目も降りなかった。
三日目の夜、和夫は少し期待していた。三日やめたのだから、少しは小さくなっているはずだ、と思っていた。
同じだった。
大きさも、場所も、感じも、一日目とまったく同じだった。減ってもいないし、我慢したぶん増えてもいない。
四日目に、和夫は台所へ降りた。冷蔵庫を開けて、右手で一つ取った。噛んで、二十秒静かになって、飲み込んで、戻った。
三日間と、この二十秒は、同じところに効いていない。
効いているように見えるのは二十秒のあいだだけで、その二十秒も、埋めているのではなく、隠しているだけだ。三日我慢しても隠れないし、隠さなくても大きくならない。
この空いた感じは、和夫が何をしてもしなくても、同じ大きさでそこにある。
埋めても小さくならない。埋めなくても大きくならない。
――何でもいいのに、必ず一つ取る。
それがわかってから、和夫は我慢することをやめた。やめたというより、我慢に意味がないことがわかったので、考えなくなった。
エピローグ
今夜も七時過ぎに、和夫は台所へ降りる。
冷蔵庫の明かりがついて、床が少し見える。右手を伸ばして、一つ取る。
噛みはじめると、台所の暗さが遠くなる。二十秒、静かになる。
――入れても、同じ大きさで戻ってくる。
あなたにも、埋めても戻ってくるものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所