五分前に、着く
待つこと

朗読で聴く
第一章 六時四十分
十一月三日、午後六時四十分。篠田正之はバス停のベンチに座っている。
バスは四十五分に来る。正之は毎回、五分前に着く。
六十六になった。四十年、この路線に乗っている。勤めていたころは朝と晩の二回、いまは週に三度、市の中央病院と図書館へ行くのに使う。
遅れたことは一度もない。バスのほうも、来なかったことは一度もない。四十年で一度だけ、雪で三十分遅れた日があった。それも来た。
このバス停は、県道から一本入ったところにある。屋根はない。ベンチと標識だけが立っている。夕方のこの時刻に乗る人は、正之のほかにはめったにいない。
だから、五分前に着く必要はない。
一分前でも間に合う。走らなくてよいだけの余裕を見るなら、二分あれば足りる。正之が五分を取っているのは、間に合わせるためではない。
その五分が、一日でいちばん静かだからだ。
いつからそうしているのかは、はっきりしない。勤めていたころは、単に早く出る癖だったのだと思う。定年のあと、行き先が減って本数も減ったのに、五分前だけが残った。
第二章 静かな五分
ベンチに座ると、まずポケットの中身を確かめる。財布、鍵、家の戸締まりの記憶。それが済むと、あとはすることがない。
することがない時間を、正之は他に持っていない。
家にいれば何かしている。テレビをつけるか、新聞を持つか、台所に立つ。歩いているときは足のことを考えている。病院の待合にいるときは、名前を呼ばれるのを気にしている。
バス停の五分だけが違う。
来ることがわかっているものを待っているので、心配することがない。かといって帰るわけにもいかないので、動く必要もない。することがなく、動く必要もない五分というのは、探して作れるものではないと正之は思う。
ベンチは木で、座面の右寄りが少しへこんでいる。正之がいつもそこに座るからではない。もとからそうなっていた。誰が作ったへこみなのかは知らない。
空を見ている。この時刻は、まだ少しだけ明るい。
十一月のこの時期は、六時四十分には、西の空の下のほうだけに薄い色が残る。その五分で、帯が細くなる。それを見ている。
夏は明るすぎるし、冬はもう暗い。この時期の五分だけが、明るさが動く。四十年かけて、正之はそれを知った。知ったところで、誰の役にも立たない。
第三章 言わない理由
このことを、正之は誰にも言ったことがない。
言えば、変わり者だと思われるからではない。言えば、たぶん納得されてしまうからだ。
いい習慣ですね、と言われる。あるいは、瞑想みたいなものですね、と言われる。そう言われた瞬間に、あの五分は「いい習慣」になり「瞑想みたいなもの」になる。名前がつくと、目的ができる。目的ができたら、たぶん静かでなくなる。
一度だけ、言いかけたことはある。バス停で同じ町内の人と一緒になって、早いですね、と言われた。正之は、ええ、と答えて、そのあとに続けようとして、やめた。バスが来た。
妻の静江には、言えたかもしれない。
静江は七年前に死んだ。生きているあいだ、正之は言わなかった。話すほどのことだと思っていなかったし、話す機会もなかった。
言わなかったことを、後悔しているわけでもない。言っていたら、静江は毎晩それを気にしただろう。今日の五分はどうだったの、と聞かれるようになったら、あれは違うものになっていた。
いま思えば、静江のほうにも同じようなものがあったのだろうと思う。
第四章 静江の十分
静江は毎朝、洗濯物を干したあと、じゅっぷんほどベランダに立っていた。
何をするでもない。手すりに手をかけて、外を見ている。正之が声をかけると、すぐに戻ってきた。
あれは何をしていたのかと、一度も聞かなかった。
いま聞けるものなら聞きたいが、聞いていたら静江はきっと、別に何も、と答えただろう。それで終わっていたはずだ。答えを持っている人が、その答えを言葉にできるとは限らない。
二人とも同じ家にいて、片方は朝のじゅっぷん、片方は夕方の五分を持っていた。どちらも相手に言わなかった。
静江が死んでから、正之は朝のベランダに出てみたことがある。じゅっぷん立って、戻った。何も起きなかった。
やり方が違うのだろうと思った。静江は洗濯物を干したあとに立っていた。何かを終えた直後のじゅっぷんだった。正之の五分は、これから乗るという前の五分だ。前と後ろでは、たぶん別のものになる。
あれは静江のもので、正之のものではなかった。それだけのことだ。
同じ家に四十年いて、二人が持っていたものは別々だった。それを寂しいとは思わない。同じものを持っていたら、たぶんどちらかが相手に合わせていた。
第五章 来るとわかっているもの
待つ、というのは、来ないかもしれないものに向かってするものだと、正之は長く思っていた。
そうでもないらしい。
バスは必ず来る。時刻表どおりに来て、正之を乗せて、行く。四十年で一度も裏切られていない。それでも正之は待っている。むしろ、必ず来るとわかっているから、安心して待っていられる。
来るかどうかわからないものを待つのは、待つというより、耐えることに近いのだろう。あれは静かではないはずだ。
世の中には、来るかどうかわからないものを何年も待っている人がいるのだろう。来ないとわかっていて待っている人も、たぶんいる。正之はそういう待ち方をしたことがない。したくもない。
自分にできるのは、確実に来るものを、必要のない五分ぶん早く待つことだけだ。
――それだけのことに、四十年かけている。
それでいい、と正之は思っている。
エピローグ
六時四十四分。西の空の帯が、もう指一本ぶんになっている。
遠くから、バスの音が来る。まだ見えない。見えるまでに、あと二十秒ほどある。
正之は立ち上がって、鞄を持ち直す。
――待つことが、何かをしていることになる。
あなたは毎日、何を待っていますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所