本当かどうかは、わからない
定食屋の店主。四十年通う客が、丼を出すたびに「多いな」と言う。量は四十年変えていない。最初は愛想で笑っていた。いまはもう、本当に可笑しいのか愛想なのか、自分でも区別がつかない。去年、あの人が笑ってほしくて来ていると知った。知ってもわからないままで、それでも笑う。

朗読で聴く
第一章 多いな
高木清一の店は、駅裏の路地にある。
カウンターだけの、椅子が七つの定食屋だ。父から継いで四十六年になる。清一は七十二になった。
大野さんは、この店がまだ父の代だったころから来ている。清一が継いでからでも四十年だ。八十六になったいまも、週に三度は来る。
大野さんは、丼を出すと必ず言う。
お、今日は多いな。
量は四十年、変えていない。同じ茶碗に、同じ杓子で、同じ回数よそう。多い日も少ない日もない。清一の手はもう、目盛りのようになっている。
それでも大野さんは、毎回言う。
清一は毎回、笑う。
店は昼と夜で客が入れ替わる。昼は近くの工場の人が多く、夜はひとりで来る年寄りが多い。四十六年のあいだに、通ってくれていた人が何人も来なくなった。来なくなる前に挨拶をしていく人は、まずいない。ある日から来ない、というだけだ。
第二章 いつのまにか
最初のころ、清一は律儀に答えていた。
いつもと同じですよ、と言った。大野さんは、そうかね、と言って食べた。次の週にはまた、多いな、と言った。
三年ほどそれを続けて、清一は答えるのをやめた。
答えても仕方がないと思ったのではない。答えると会話が終わってしまう、と気づいたからだ。多いな、いつもと同じです、で終わる。そのあとは食べる音だけになる。
答えるのをやめて、笑うようにした。すると大野さんも笑った。会話は終わらず、そこで少しふくらんで、また静かになった。
このほうがいい、と清一は思った。
定食屋というのは、話をしに来る場所ではない。かといって、黙って食べて帰るだけの場所でもない。その中間の、名前のついていないところに客は来る。四十六年やってきて、清一が身につけたのはそのあたりの加減だけだと思っている。
そのときの笑いは、はっきり愛想だった。清一は自分でわかっていた。商売の笑いだ。父にもそう教わった。
父は一度だけ、こう言った。
――客の言うことは、聞くもんじゃない。受けるもんだ。
意味はよくわからなかった。聞き返す前に父は厨房に戻り、それきり同じ話はしなかった。四十六年たったいまも、清一はその意味を考えることがある。
いつからか、笑いが変わった。
変わった日を、清一は覚えていない。気づいたのは十年ほど前で、そのとき既に変わったあとだった。
あるとき清一は、大野さんが戸を開ける音を聞いた瞬間に、自分の口の端が上がったのを感じた。まだ何も言われていない。どんぶりも出していない。ただ、あの引き戸の、少し重い開き方の音がしただけだ。
それで気がついた。自分は言われる前に、笑う用意をしている。
四十年で、体がそうなった。
同じころ、清一は自分がほかの客には笑っていないことにも気がついた。愛想は誰にでも出すが、あの笑い方をするのは大野さんのときだけだ。四十年ぶんの何かが、大野さんの音にだけ結びついている。
愛想というのは、相手の言葉を受けてから作る顔のことだ。言われる前に動いているものを、愛想とは言わない。かといって、本当に可笑しいのかと自分に聞いてみると、そうとも言い切れない。四十年前に可笑しかったわけではないのだから。
可笑しくないものを四十年やっているうちに、可笑しいのに近いものになった。近いものが、可笑しさそのものなのかどうかは、清一にはわからない。
第三章 澄子の帳面
妻の澄子は、毎晩、その日に炊いたこめと、残ったこめを帳面に書く。
何合炊いて、何合残ったか。それだけだ。四十年つけている。
昔は仕入れの目安に使っていたが、いまはもう、だいたい体でわかる。それでも書く。清一が一度、もういらないんじゃないかと言ったら、澄子は、書かないと閉められない、と言った。
店を閉める手順の中に入っているらしい。
澄子の帳面は棚に積んである。四十年ぶんで、ずいぶんな厚みになった。清一は一度だけ古いのを開いてみたことがあるが、数字が縦に並んでいるだけで、その日に誰が来たとも、何があったとも書いていなかった。
夜、清一がおもての灯を落としているあいだ、澄子は厨房で数字を書いている。二人とも四十年、同じ場所で別々のことをしている。清一は自分の笑いを数えていないし、澄子はこめしか数えていない。
澄子は大野さんのことを、いいお客さんだ、とだけ言う。清一が毎回笑っていることについては、何も言ったことがない。気づいていないのか、言うほどのことではないと思っているのか、それも清一にはわからない。
第四章 知ってしまった
去年の秋、大野さんの息子が一度だけ店に来た。
東京から戻ってきたついでだと言って、親子で食べていった。帰りぎわ、息子が清一を外まで送りに出て、こう言った。
――親父、ここに来て親父さんに笑ってもらうのが楽しみだって言ってましたよ。
それだけ言って、車に戻っていった。
清一はしばらく、路地に立っていた。
知ってしまった、と思った。
あの人は、笑ってもらいに来ていた。ということは、こちらの笑いは商品だったことになる。四十年、自分は同じものを出し続けていた。飯と、汁と、笑いを。
そう考えると、あれはやはり愛想だったのだと思える。
けれど、戸の音で口が動くのは商売ではない。あれは勝手に動いている。
知ってしまってからも、清一にはわからない。むしろ前より、わからなくなった。
その晩、清一は大野さんに何か言おうかと考えた。息子さんから聞きましたよ、というような一言だ。考えて、やめた。言えば、次から二人とも意識してしまう。四十年かけて何も言わずに来たものを、一言で作り替えることになる。
第五章 それでも笑う
今年に入って、大野さんは食べきれなくなった。
半分ほど残すようになったので、清一は量を減らした。四十年で初めてのことだ。杓子を持つ手が、いつもの位置で止まらずに、少し手前で止まる。それに慣れるのに一週間かかった。
減らした日、大野さんは丼を見て、いつもどおり言った。
お、今日は多いな。
清一は笑った。
その笑いが何だったのかは、自分でもわからない。可笑しかったのかもしれない。悲しかったのかもしれない。愛想が出ただけかもしれない。三つとも少しずつだったのかもしれない。
わからないまま、清一は笑って、湯呑みを置いた。
――たぶん、確かめないほうがいい。
確かめて、愛想だとわかってしまったら、明日から出せなくなる。本物だとわかってしまっても、たぶん同じくらい困る。四十年やってきたものに、いまさら名前をつける必要はない。
エピローグ
夕方の店。おもての灯をつける。
戸が少し重い音を立てて開く。清一の口の端が、先に動く。
丼を出す。多いな、と声がする。清一は笑う。
――本物かどうかは、わからないままでいい。
あなたが毎日、確かめずに続けている笑いはありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所