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言い方が、薄れる

夫が鍋のふたを開けるたびに言った、意味のない一言があった。夫が死んで八年、いまは自分がそれを言って、一人で笑っている。ただ、真似ていた言い方が年々薄れて、だんだん自分の声に戻ってきている。なぜ可笑しいのかを聞ける相手は、もういない。可笑しさの中身は最後まで説明しない。

言い方が、薄れる

朗読で聴く

第一章 およ

岡田文江は、鍋のふたを開けるときに、およ、と言う。

六十八になった。台所で煮物のふたを持ち上げる。湯気が上がる。そのときに、およ、と言う。言ってから、少し笑う。

これは文江の言葉ではない。夫の正治が言っていた。

正治は鍋のふたを開けるたびに、必ずそう言った。四十年、一度も欠かさなかった。およ、と言って、中をのぞいて、それだけだ。何かに驚いているわけでもない。中身がどうであっても言った。

新婚のころ、文江は一度だけ真似をして返したことがある。正治は気づかない顔をして、そのまま茶碗を出した。それきり、文江は返さなくなった。返すものではないと、なんとなくわかったからだ。

なぜ言うのかを、文江は一度も聞かなかった。

聞くほどのことではないと思っていた。癖というのはそういうもので、いちいち理由を聞くものではない。それに、いつでも聞けると思っていた。

台所は正治が死んでから一度も変えていない。鍋も同じものを使っている。取っ手のねじが緩んでくるので、年に一度くらい締め直す。締め直しながら、これはいつまで使えるだろうと考えることがある。

正治は八年前に死んだ。

第二章 いつからか

いつから自分が言うようになったのかは、覚えていない。

葬式のあとしばらくは、台所に立つのがつらかった。二人ぶん作りかけて手が止まる、というのを何度もやった。半年ほどして、量を間違えなくなった。

気がついたら、言っていた。

最初に自分の声でそれを聞いたとき、文江はふたを持ったまま固まった。夫のいない台所で、夫の声がした。よく聞けば自分の声で、けれど抑揚が正治のものだった。

驚きはしなかった。四十年ぶんの音が耳に残っているのだから、出てきても不思議はない。不思議だったのは、それが出た瞬間に、自分の口の端が動いたことのほうだ。

文江はそのとき、笑った。

悲しくなかったわけではない。悲しさと同時に、可笑しかった。可笑しいというのが正確かどうかもわからないが、口の端が上がったのは確かだった。

誰にも見られていない台所で、一人で笑う。声を出して笑うわけではない。息が少し漏れて、口の端が上がるだけだ。それでも自分では、笑ったとわかる。

その日から、毎日言っている。

第三章 説明できないもの

娘の佳世に、一度だけ話したことがある。

お父さん、鍋開けるとき、およ、って言ってたでしょう。

佳世は、そうだっけ、と言った。覚えていないらしい。それから、へえ、と言って、洗い物の話に戻った。

文江はそれ以上言わなかった。

言っても仕方がない、と思ったのではない。説明できないと思ったのだ。

あの言い方の、どこがどう可笑しいのか。文江にも言えない。およ、という音そのものが可笑しいのではない。正治の言い方が可笑しかった。けれどその言い方を言葉で説明することは、たぶん誰にもできない。

可笑しさというのは、こういうところにあるらしい。二人のあいだにだけあって、三人めには渡らない。

隣の部屋の光枝さんは、毎朝ベランダで洗濯物を干しながら、その日の風の向きを声に出して言う。北、とか、south、とか。south のときだけ英語になる理由を、文江は知らない。

一度、なぜですか、と聞きかけて、やめた。聞いてしまったら、光枝さんはそれをやめるかもしれないと思ったからだ。

文江が台所で言っているのと、光枝さんがベランダで言っているのは、たぶん同じ種類のものだ。同じ棟で、同じ時間に、二人が別々に、誰にも説明しない言葉を言っている。どちらも三十年か四十年、続いている。

佳世は四十二になる。父親の癖を一つも覚えていないわけではないだろう。ただ、佳世が覚えているのは別の癖で、それはたぶん佳世にしか可笑しくない。

第四章 薄れる

三年ほど前から、文江は気づいていた。

言い方が、薄れてきている。

最初のころは、正治の抑揚がそのまま出ていた。少し上がって、途中で下りる。あの人の言い方だった。それがだんだん平らになって、いまではほとんど文江の声で、ただの、およ、になっている。

真似ようとしてみたこともある。

やってみて、できなくなっていることがわかった。喉が覚えていたものが、抜けたのだと思う。八年のあいだに、少しずつ抜けた。

どこで抜けたのかは、わからない。ある日を境に、ということではないのだろう。毎日言っているうちに、毎日ほんの少しずつ自分の言い方に寄っていって、八年でここまで来た。毎日やっていたからこそ薄れた、ということになる。

言わないでおいたら残ったのだろうか、と考えたことがある。たぶん、そうではない。言わなければ、もっと早く、まるごと消えていたはずだ。

抜けたと気づいた日、文江は台所で立ったまま、しばらく動かなかった。

声が消えるというのは、こういうことなのかと思った。写真は残る。字も残る。声だけが、どこにも残らない。文江の喉に残っていたのが最後のひとつで、それも薄くなった。

録音しておけばよかった、とは思わない。思ったことはあるが、すぐに違うと思い直した。録音があったら、毎日、それを聞いて確かめてしまう。確かめるようになったら、たぶん笑えなくなる。

それでも文江は、毎日言っている。

第五章 それでも、笑う

言い方が薄れても、笑いは同じところで来る。

ふたを持ち上げて、湯気が上がって、およ、と言う。自分の声で言う。それから笑う。可笑しさの中身は、もう思い出せない。正治がどんなふうに言っていたのかも、正直なところ曖昧になった。

それでも、そこで笑う。

笑ってから、少し考える日もある。いま自分は何に笑ったのだろう、と考えて、答えが出ないまま、ふたを置く。答えが出ないことにも、だいぶ慣れた。

文江は最近、こう思うようになった。

残ったのは、声ではなく、笑うほうだったのだと。

声は八年で抜けた。抜けたあとに、笑いだけが残っている。中身がなくなっても、形だけが毎日そこに来る。それは正治のものでも、文江のものでもなく、二人で作ったものの残りなのだろう。

――もう少し、薄くなってもいい。

文江はそう思っている。全部抜けてしまっても、たぶん自分は、ふたを開けたところで笑う。

台所に立つ年数も、そう長くはない。いつか自分が台所に立てなくなる日が来て、そこでこれは終わる。終わったあとに、この笑いのことを知っている人間は一人もいなくなる。佳世も覚えていない。

それでいいと文江は思っている。二人のあいだにあったものが、ふたりぶんの時間で終わるというのは、順番として正しい。

エピローグ

夕方の台所。鍋が小さな音を立てている。

文江はふたに手をかけて、持ち上げる。湯気が上がる。

およ、と言う。自分の声で言う。それから、少し笑う。

――笑いだけが、残った。

あなたが、もういない人の言い方で笑うことはありますか。

ソウルミッション358

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