その話は、しない
赦し

朗読で聴く
第一章 日曜の電話
日曜の午前十時になると、坂井邦夫は廊下の電話台の前に立つ。
六十八になった。定年から八年、この時間だけは何があっても空けてある。受話器を取って、覚えている番号を押す。四回か五回で、向こうが出る。
もしもし。ああ、邦夫さん。
兄の妻の多美子が出る。七十八になった。兄の正一は十年前に死んだので、あの家にはもう多美子しかいない。
話すことは、たいしてない。天気、膝、テレビでやっていたこと、近所の家が建て替わったこと。十五分から二十分で切る。二十年、毎週やっている。
かける前に、邦夫は必ず台所で水を一杯飲む。喉を湿らせておかないと、最初の一言が掠れる。二十年やっているうちに、水を飲むところまでが電話の一部になった。
邦夫は電話をかけながら、いつも右手の親指で、電話台の同じところをこすっている。
黒く塗った台の、手前の縁に近いところ。二十年こすったせいで、そこだけニスが完全に剥げて、下の白っぽい木が出ている。楕円形で、親指の腹とちょうど同じ大きさだ。
自分がやっていることに、邦夫が気づいたのは十年ほど前だった。気づいてからも、やめていない。やめようと思ったこともない。
母の介護は十二年だった。全部、邦夫がやった。
そういう約束では、なかった。
第二章 一度だけ、かけた
母が倒れたとき、正一と多美子は同じ市内に住んでいて、話をつけに来たのは多美子のほうだった。正一は無口な人で、こういう話にはいつも出てこなかった。
三年はうちで見ますから、そのあと、交代でお願いします。多美子はそう言った。邦夫は独り身だったので、まず自分が引き取るのが順番だろうと思った。
三年が過ぎたころ、多美子から電話があった。正一の腰が悪くて、いまはとても無理だという。邦夫は、わかりました、と答えた。
四年目も、五年目も、同じ電話がかかってきた。六年目からは、かかってこなくなった。
十二年のあいだ、邦夫は毎晩、寝る前に母の部屋の襖を細く開けて、息をしているかどうかを確かめた。確かめてからでないと自分の布団に入れなかった。息が浅い日は、しばらくそこに座っていた。
仕事はそのあいだも続けていた。朝は五時に起きた。十二年で、旅行には一度も行っていない。それを不幸だと思ったことは、あまりない。ほかにやりようがなかっただけだ。
十二年のうちで、邦夫が向こうに助けを求めたのは一度だけだ。
九年目の冬の夜だった。母が夜中に起き出して、家の中を歩きまわり、邦夫を知らない人だと言って怒った。三日続いた。四日目の午前二時に、邦夫は多美子の家に電話をかけた。
多美子は寝ていた。声が固かった。事情を話すと、少し黙って、それから言った。
うちは無理です。
それだけだった。邦夫は、そうですか、と言って切った。
その夜のことを、邦夫は誰にも話していない。多美子が覚えているかどうかも、知らない。二十年、確かめたことがない。
第三章 膝の話
母が死んだ夜、多美子が来た。
線香をあげて、それから邦夫の手を両手で握って、こう言った。
最後まで見てもらって、ほんとうにありがとう。
邦夫はそのとき、何も言えなくなった。
謝られていたら、何か言えたかもしれない。詫びられていたら、いいですよと言えた。けれど感謝されてしまうと、こちらから出すものが何もなくなる。ありがとう、と言われた側は、どういたしまして、としか言えない。
邦夫は、いいえ、とだけ答えた。
葬式が終わって、法要が終わって、それから邦夫は毎週日曜に電話をかけるようになった。理由は自分でもよくわからない。切れてしまうのが嫌だったのだと思う。
電話で多美子が必ず話すのは、膝のことだ。
右の膝が、雨の前の日に痛む。だから多美子は毎日、朝いちばんに膝の具合を確かめて、それで明日の天気を当てる。当たった、外れた、を紙に書いている。もう十年以上つけていて、七割は当たるのだという。
一度だけ、その紙を見たことがある。法事で寄ったとき、台所の壁に貼ってあった。ノートを切ったような紙に、日付と、丸と、罰点が細かく並んでいた。丸のほうが少し多かった。
多美子はそれを、誰にも頼まれずに十年つけている。当てたところで何も起こらない。それでも毎朝、起きた瞬間に膝を確かめている。
邦夫はそれを毎週聞いている。
同じ電話のあいだ、多美子は自分の膝が痛んだ日を数えていて、邦夫は電話台の剥げを親指でなぞっている。二人はずっと同じ線でつながっていて、確かめているものはまったく別だ。
多美子は自分の数えているものを、邦夫に話す。邦夫は自分のなぞっているものを、話さない。
第四章 言いかけた
去年の十月、正一の十三回忌があった。
帰りぎわ、甥が邦夫を玄関まで送りに出て、外に出たところで小さい声で言った。
――叔父さん。母が、叔父さんに何か言いたいことがあるみたいなんですよ。
甥はそれだけ言うと、玄関に戻っていった。説明も、頼みごともしなかった。
邦夫は電車の中で、そのことをずっと考えていた。
何を言いたいのかは、見当がついた。ほかにない。二十年前のあの夜のことか、来ますと言って来なかった何年かのことか、どちらかだ。つまり多美子は覚えている。覚えていて、二十年黙っていた。
それがわかったとき、邦夫の中で少しだけ動いたものがあった。いかりではなかった。多美子もまた、二十年、言わないでいたのだ。
次の日曜、電話をかけた。天気の話をして、膝の話を聞いた。それから多美子が、少し黙った。
邦夫さん。あのね。あのときのことなんだけど。
邦夫は、その先を聞かなかった。
そういえば、と邦夫は言った。こっちは今週、ずっと晴れましたよ。そっちはどうでしたか。
多美子は一拍おいて、それから、こっちも晴れたわ、と言った。膝は痛くなかった、と。
その日の電話も、いつもと同じ長さで終わった。
第五章 言わせない
受話器を置いてから、邦夫は自分がしたことを考えた。
多美子は謝ろうとしていた。邦夫は、それを止めた。
止めた理由は二つある。
一つめ。謝らせて、いいですよと言えば、そこに新しい上下ができる。赦す側と赦される側だ。二十年かけて何とか平らにしてきたものを、たった一言で作り直すことになる。多美子は残りの何年かを、赦された人として過ごすことになる。それは邦夫が渡したいものではなかった。
二つめのほうが、たぶん本当の理由だ。
言わせてしまったら、二十年が片づいてしまう。
邦夫はもう多美子を赦している。それは何年も前に済んでいる。恨んでいないし、悪く言ったこともない。けれど赦し終わったあとにも、日曜の十時と、電話台の剥げは残った。それは恨みの残りかすではなく、あの十二年が確かにあったという、ただ一つの証拠だ。
謝罪を受け取れば、それは「解決した話」になる。解決した話は、しまわれる。しまわれたら、あの十二年は誰の手もとにも残らない。多美子の中にも、邦夫の中にも。
――赦した。けれど、無かったことにはしない。
その二つを同時に持っておく方法が、邦夫には一つしかなかった。毎週かけて、その話をしないことだ。
だから今週もかける。指はまた、同じところをこする。
エピローグ
日曜の午前十時。廊下は少し寒い。
受話器を取る。四回で、向こうが出る。
膝はどうですか、と邦夫は聞く。多美子が、雨が来るわね、と答える。
親指の下で、剥げたところはもう十分に滑らかになっている。
――赦しても、指は覚えている。
あなたが毎週、言わないでいることは何ですか。
あなたの魂のテーマに気づく場所