誰が要るかは、知らない
近い未来。畑をやめたあとも、毎年、種を採って乾かして分けている。自分では使いきれない量になる。渡す相手はいない。誰が要るかも知らない。まだ生まれていない誰かが要るかもしれない、というだけの理由で三十年続けている人生。

朗読で聴く
第一章 やめたあとも
坂西トキは、畑をやめて八年になる。
七十を過ぎたころから膝が悪くなって、しゃがむのがつらくなった。八年前の秋に最後の収穫をして、そのあと畑は貸した。
いま借りている人は若い人で、きちんとやっている。トキは通りかかると見るが、口は出さない。
畑はやめた。
種は、いまも採っている。
これは説明しにくい。畑がないのに種を採るというのは、順番がおかしい。
正確には、家のまわりの、ごく小さな場所でいくつかだけ育てている。畑と呼べるものではない。物置の横と、玄関先の日の当たるところ。
そこで育てたものから、毎年、種を採る。
採って、乾かして、分けて、しまう。
三十年、同じ手順でやっている。
始めたのは、姑が死んだ年だ。
トキがこの家に来たとき、種を採っていたのは姑だった。何も教わらなかった。教わろうとも思わなかった。当時は仲がよくなかったし、そういうことは自分でやらなくても、集落の誰かがやっていた。
姑が死んで、その年の秋に、物置の棚に古い封筒が並んでいるのを見つけた。
中身は種だった。年が書いてある。いちばん古いもので、二十年以上前のものがあった。
トキはそれを捨てなかった。
捨てられなかった、というほうが正しい。
その年、トキは初めて自分で種を採った。姑のやり方は知らないので、見よう見まねと失敗でやった。
いまの手順は、そうやってできた。姑から受け継いだものは、棚の古い封筒だけだ。
やり方は、一つも受け継いでいない。
第二章 指の腹
乾いたかどうかは、指の腹でわかる。
種を数粒、指先に載せて、親指の腹で軽く押す。まだ水気があると、わずかに沈む。乾いていると、そのまま転がる。
言葉にすると難しそうだが、やってみればすぐわかる、とトキは思っている。実際にはそうではないらしい。
去年、近所の若い人に教えようとして、うまくいかなかった。
「わかりません」と言われた。トキは何度かやって見せたが、伝わらなかった。
三十年やらないと、たぶんわからない。
トキの指の腹は、その三十年で薄くなった。同じところばかり使ったからだと思っている。医者に見せたことはない。
体は、やったことがそのまま出る。
種の乾き具合がわかる指を持っている人は、この集落にもう何人もいない。
第三章 息子が数えているもの
息子の勝は、都市部にいる。
勝は、トキに何回連絡したかを数えている。
「先月三回かけたよ」と言う。心配してくれているのはわかる。トキが一人でいることを気にしている。
年に二度、帰ってくる。帰ってくると、家の中を見て、危ないところを直して帰る。
種のことは、何も言わない。
見えているはずだ。物置の棚に、封筒を入れた浅い木箱が並んでいる。全部で二十いくつある。
一度だけ、勝が「これ、どうすんの」と聞いたことがある。
トキは「置いてある」と答えた。
勝は「ふうん」と言って、それきりだった。
トキは、何も数えていない。
封筒の数を数えたことはない。棚を見れば、だいたいの量はわかる。数えても仕方がない。
同じ家で育った親子が、まったく別のものを数えていた。
勝の三回は、勝を安心させる。トキの棚の中身は、誰も数えていない。
第四章 使いきれない
トキが採る種は、自分ではとても使いきれない量になる。
小さな場所で育てているだけだから、翌年に蒔くのは、採れたうちのほんの一部だ。
残りは、しまう。
古いものから使うようにはしている。それでも増える。三十年ぶんが、少しずつ溜まっている。
渡す相手は、いない。
昔は、近所で分け合っていた。トキが若いころは、種はそういうものだった。もらって、返して、また回った。
いまは、そういうやりとりがない。
必要なら買える。買ったほうが確実で、揃っていて、失敗が少ない。
だから誰も、トキに種を求めない。
トキもそれでいいと思っている。若い人が買うのは合理的だ。貸している畑の人も、買っている。それで立派に育っている。
それでも、採る。
第五章 まだ生まれていない
なぜ採るのかを、トキは一度、人に聞かれたことがある。
役場の人が、集落の調査で家に来たときだ。棚を見て、「すごいですね」と言った。
そのあと「これは、どなたかにお渡しになるんですか」と聞かれた。
トキは少し考えて、「まだ、いません」と答えた。
役場の人は、うまく理解できない顔をした。
トキは説明しなかった。説明すると長くなるし、うまく言える気がしなかった。
そのあと、一人になってから、自分の答えについて考えた。
「まだ、いません」
これは、いないという意味ではない。
いつか要る人が出てくるかもしれない、という意味で言った。
その人が誰かは知らない。孫かもしれないし、まったく知らない人かもしれない。いま生まれていない人かもしれない。
三十年前に採った種は、もう芽が出ないものもある。それはトキも知っている。
だから、これは実用の話ではない。
用意しておく、ということそのものを、トキは三十年やっている。
誰かが要ると言ったときに、「ある」と答えられる状態でいたい。
その誰かが現れないまま自分が死ぬ可能性のほうが、たぶんずっと高い。
それでも、用意しておく。
用意する、というのは不思議な行為だと、トキは思う。
まだ起きていないことに対して、いま手を動かす。起きるかどうかはわからない。起きたときに自分がいるかどうかもわからない。
それでも、体は動く。
若いころ、トキは大晦日に必ず余分に餅をついた。誰か来るかもしれないから、と言って。たいてい誰も来なかった。余った餅は正月のあいだに家族で食べた。
夫にはよく笑われた。「毎年誰も来んのに」と。
トキはそのたびに「来るかもしれんから」と答えた。
いま思うと、あれと同じことをしている。
用意しておくと、来なかったときに損をする。餅は余るし、種は溜まる。
それでも用意する人と、しない人がいる。
トキは、する人だった。それだけの話かもしれない。
ただ、しない人になることを、トキは八十二になっても選べていない。
エピローグ
トキは八十二になる。
膝はさらに悪くなった。玄関先の分は、しゃがまずに済むように台の上でやっている。
去年、貸している畑の若い人が、めずらしく家に来た。
苗のことで聞きたいことがあると言った。トキは知っていることを話した。
帰りぎわ、その人が棚を見て、「これ、種ですか」と聞いた。
トキは「そう」と答えた。
その人は「へえ」と言って、少し見て、帰っていった。
何ももらっていかなかったし、トキも渡さなかった。
ただ、その日の夜、トキは少し眠れなかった。
嬉しかったわけではない。
あの人が種を見た、というだけのことだ。誰かの目に入った。三十年で、たぶん三度目か四度目くらいだと思う。
それだけのことが、その夜は妙に頭に残った。
今年も、秋になれば採る。乾かして、分けて、しまう。
誰が要るかは、知らない。
――愛おしさは、相手がわからなくても働く。あなたは毎日、誰のためかわからない何を用意していますか。
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