枯らしていいよ
近い未来。息子が出ていくときに置いていった鉢植えに、十二年水をやっている。息子は年に一度帰ってきて、そのたびに「枯らしていいよ」と言う。本気で言っている。父も本気で受け取っている。それでも翌朝また水をやっている人生。

朗読で聴く
第一章 置いていった
岸本孝三の家の玄関先に、鉢が一つある。
高さは膝くらい。素焼きの、何の変哲もない鉢だ。中の木は、いま孝三の腰より少し高い。
十二年前、息子の直人が家を出るときに置いていった。
置いていった、というのは正確ではないかもしれない。荷物をまとめて、車に積んで、最後に玄関を出るとき、直人が鉢の前で立ち止まった。
「これ、持ってく?」と孝三が聞いた。
直人は少し考えて、「置いとく」と言った。
それだけだった。
その木は、直人が高校のとき、学校の行事か何かでもらってきたものだ。孝三はいまだに何の木か知らない。名札はとうについていない。
十二年、孝三が水をやっている。
はじめの一年は、妻がやっていた。
孝三は当時まだ働いていて、朝が早かった。妻の靖子が「わたしがやる」と言って、そのまま一年ほど続いた。
二年目の春に、靖子が腰を痛めて、しばらく動けない時期があった。玄関先までしゃがむのが難しくなった。
そのとき孝三が代わった。
一週間の代わりのつもりだった。靖子の腰は一か月ほどで治ったが、そのまま孝三が続けた。
なぜ返さなかったのかは、覚えていない。返すきっかけがなかった、というのがたぶん本当のところだ。
靖子も何も言わなかった。
十二年のうち十一年を、孝三がやっていることになる。
第二章 持ち上げればわかる
水の量は、持ち上げればわかる。
鉢の縁の下に指をかけて、少し浮かせる。重ければ足りている。軽ければやる。
十二年で、そうなった。
はじめのころは土を触って確かめていた。それだと表面しかわからない。二年目か三年目に、持ち上げるほうが正確だと気づいた。
いまは、指をかけた瞬間にわかる。考える前に手が判断している。
孝三は七十一になる。長く工場で働いて、六十で辞めた。それから十年、この家にいる。
妻は五年前に亡くなった。
朝、起きて、玄関を開けて、鉢を持ち上げる。それが一日の最初の動作になっている。
雨の日はやらない。曇りの日は少なめにする。夏は朝と夕方の二回。
日の当たる側へ向きを変えるのも、一日に二度。朝と夕方。葉が片側にばかり伸びないように、少しずつ回す。
これも十二年やっている。
第三章 娘が数えているもの
娘の由香は、孝三の通院の回数を数えている。
「今年もう八回目だよ」と言う。血圧と、膝と、目。年齢なりに増えている。
由香は近くに住んでいて、週に一度来る。買い物をして、洗濯をして、帰る。ありがたいと思っている。
由香は、鉢のことを何も言わない。
見えていないわけではない。玄関先にあるのだから、来るたびに横を通っている。ただ、話題にしない。
孝三も言わない。
一度だけ、由香が「それ、大きくなったね」と言ったことがある。孝三は「うん」と答えた。それきりだ。
孝三は、水をやった回数を数えていない。
十二年で何回になるかは、計算すればわかる。雨の日を除いて、一日一回か二回だから、七千回くらいだろうか。
数えたことはない。
同じ家に出入りしている親子が、まったく別のものを数えていた。
由香の八回は、心配の数だ。孝三の七千回は、誰も心配していない。
第四章 枯らしていいよ
直人は、年に一度帰ってくる。
正月に、一泊して帰る。仕事が忙しいのは本当だと思う。責めたことはない。
帰ってくるたびに、直人は玄関で鉢を見る。そして、必ず言う。
「まだあるんだ。枯らしていいよ」
これは冗談ではない。
孝三にはわかる。直人は本気で言っている。気を遣っているのでもないし、皮肉でもない。
直人にとって、その木はもう自分のものではない。高校生のときにもらって、置いていったものだ。父がそれを十二年世話していることが、たぶん少し重いのだと思う。
「俺のために置いてるなら、やめていいよ」ということを、直人はそう言い換えている。
孝三は毎回、「そうか」と答える。
そして翌朝、水をやる。
これも本気だ。孝三は直人の言葉を真に受けている。真に受けたうえで、水をやっている。
自分でも、そこが妙だと思う。
第五章 誰のためか
孝三は一度、真剣に考えたことがある。
妻が亡くなった年の冬だ。家の中が急に静かになって、いろいろなことを考えた。
自分は誰のためにこれをやっているのか。
直人のためではない。直人は要らないと言っている。
木のためでもない。木に感情はないし、枯れたところで誰も困らない。
妻のためでもない。妻は鉢に触ったことがなかった。
自分のためかというと、それも違う気がした。楽しくはない。手間だし、旅行にも行きにくい。実際、そのせいで断った誘いが何度かある。
答えは出なかった。
出ないまま、翌朝また水をやった。
そのころから、孝三は考えるのをやめた。
かわりに、こう思うようになった。
これは直人ではなく、直人が立ち止まった三秒に対してやっている。
家を出る日、荷物を全部積み終えた息子が、玄関先で鉢の前に立ち止まった。三秒くらいだった。それから「置いとく」と言った。
あの三秒に、何かがあった。
何だったのかは、孝三にもわからない。直人自身もわかっていないと思う。持っていきたかったのかもしれないし、面倒だっただけかもしれない。
ただ、立ち止まったことは事実だ。
孝三は、その三秒を十二年、預かっている。
預かっている、という言い方を、孝三は一度も口に出したことがない。
言えば、たぶん重い。直人は「そんなつもりじゃない」と言うだろうし、実際そうだろう。
親が子どもの何気ない一動作を十二年抱えていると知らされることは、子どもにとって負担でしかない。
だから言わない。
孝三は、自分が抱えているものを直人に渡さないと決めている。
これは我慢ではない。むしろ逆で、渡してしまったら手元から無くなる。
十二年抱えていられたのは、誰にも言わなかったからだ。言葉にすると、たいていのものは軽くなって、そのあと消える。
孝三は工場にいたころ、そういう場面を何度も見た。長く抱えていたことを飲み会で話してしまって、そのあと辞めていく人がいた。
話してよかったのかどうかは、他人にはわからない。
ただ孝三は、話さないほうを選んだ。
エピローグ
木は、思ったより大きくなった。
鉢が小さくなってきているので、植え替えたほうがいいのかもしれない。孝三は園芸に詳しくないので、それがいつなのかわからない。由香に聞けば調べてくれるだろうが、聞いていない。
去年の正月、直人が帰ってきて、いつものように言った。
「枯らしていいよ」
孝三は「そうか」と答えた。
そのあと、直人が少しだけ違うことを言った。
「まあ、親父が好きでやってんならいいけど」
孝三は「好きでやってる」と答えた。
そう答えてから、それが本当かどうか、自分でもわからないと思った。
好きではない。でも、やめたいとも思わない。
そういうものに名前がないだけで、たぶん、そういうものは世の中にたくさんある。
今朝も、玄関を開けて、鉢を持ち上げた。
軽かった。
――要らないと言われたものが、いちばん長く残る。あなたは毎日、断られた何を続けていますか。
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