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頭に入っている

平成の初め、配送の運転手を三十年やってきた。この街の道が全部頭に入っている。抜け道も一方通行も工事の癖も。それが仕事の全部だった。カーナビが積まれた日から、それは要らなくなった。誰も惜しまなかった。当たり前だったものが、当たり前のまま消えた人生。

頭に入っている

朗読で聴く

第一章 全部入っている

手島実は、この街の道を全部覚えている。

大きな通りのことではない。誰でも覚える。手島が覚えているのは、その下だ。

団地の裏を抜けて工場の門の前に出る道。朝の八時十分から八時半までだけ小学生で埋まる道。雨が降ると必ず水が溜まって、大きい車が避けるので逆に空く道。

一方通行がどこで向きを変えるか。どの角が広く見えて実は入れないか。年に二度、道路工事がどこから始まるか。

三十年ぶんが、頭の中に入っている。

手島は五十四になる。高校を出てすぐ運送に入って、いまも同じ会社にいる。営業所はこの街に一つしかなく、担当区域は最初から変わっていない。

同じ街を三十年走った。

紙の地図は助手席にあるが、開かない。開いても、地図には載っていないことのほうが多い。

覚えたのは、覚えようとしたからではない。

最初の三年は、毎日どこかで詰まっていた。入れると思った道が行き止まりで、バックで出るのに十五分かかる。曲がったら朝の通学路で、進めないまま二十分待つ。

そのたびに遅れて、営業所で謝った。

四年目に、そういう日がほとんどなくなった。

手島は、その変化がいつ起きたのかを覚えていない。ある時期から詰まらなくなっていた、というだけだ。

覚えるというのは、そういう形をしている。覚えた瞬間がない。失敗した回数だけが、あとから道の形になっている。

だから手島は、自分の頭の中にあるものを「知識」だと思ったことがない。

三十年ぶんの、詰まった記憶の集まりだ。

第二章 先に傾く

曲がる前に、体が先に傾く。

考えていない。ハンドルを切る前に、上半身が内側にわずかに入る。三十年で、そういう動き方になった。

去年、健康診断で背骨が少し左に寄っていると言われた。担当区域の道は、左折のほうが圧倒的に多い。手島はそれを聞いて納得した。

医者は「姿勢に気をつけて」と言った。

姿勢の問題ではない。三十年ぶんの左折が入っているだけだ。

そう言っても通じないので、手島は「はい」と答えた。

体は、やったことがそのまま出る。

若い運転手を助手席に乗せて教えていたころ、よく言われた。「なんでその角、曲がるってわかるんですか」

手島は「行けばわかる」と答えていた。

不親切な答えだが、それ以上の説明ができない。標識があるわけでも、目印があるわけでもない。三十年前にそこで一度詰まって、それ以来入っていないというだけの話だ。

第三章 加瀬が数えているもの

同じ営業所に、加瀬という後輩がいる。

加瀬は件数を数えている。

一日の配達件数を毎日メモしていて、月末に合計を出す。「今月三百二十件でした」と朝礼で言う。所長がそれを褒める。

手島は、何も数えていない。

三十年で何件配ったかは、たぶん記録を探せば出てくる。会社の帳簿にはあるだろう。手島自身は一度も数えたことがない。

かわりに手島が持っているのは、数えられないほうだ。

どの家がいつも留守か。どの家は呼び鈴が鳴らないので二回押すか。どの角の犬が音に驚くから徐行するか。

こういうものは記録に残らない。伝票にも書けない。

同じ区域を回っている二人が、まったく別のものを数えていた。

加瀬の三百二十件は、数字になる。手島が持っているものは、手島の中にしかない。

一度、加瀬に言われたことがある。

「手島さん、ナビ使わないんですか」

手島は「見なくてもわかるから」と答えた。

加瀬は「すごいっすね」と言った。悪気はない。ただ、そのあと加瀬はナビを使い続けた。

それでいい。使えばいいと思う。

第四章 積まれた日

車にカーナビが積まれたのは、平成の八年か九年だったと思う。

会社が全車に入れた。効率化だと説明があった。実際、効率は上がった。新人が三か月で一人で回れるようになった。以前は一年かかっていた。

手島はそれに反対しなかった。反対する理由がない。

そして、その日から、手島の三十年は要らなくなった。

正確には、要らないと誰も言わなかった。ただ、あってもなくても同じになった。

これは、はっきり言われるより静かに効いた。

言われたなら、言い返せる。機械にはわからないことがある、と主張できる。実際いくつかはある。ただ、その差は年に数回しか出ない。年に数回のために、三十年ぶんの記憶を維持している理由を、手島は説明できない。

誰も惜しまなかった。

それは当たり前だからだ。

手島が持っていたものは、あって当然のものとして扱われてきた。当然のものは、無くなっても誰も気づかない。

第五章 それでも曲がる

いまも、手島はナビより先に曲がる。

音声が「およそ三百メートル先、左方向です」と言い終わる前に、もう車体が入っている。

意味はない。到着時間は変わらない。会社の数字にも出ない。

だが、やめられない。

三年前、手島は一度考えた。もう素直に機械に従おうと。そのほうが楽だし、間違いもない。

一週間やってみた。

疲れた。

理由は自分でもよくわからない。運転そのものは楽になったのに、帰ってくると妙に消耗していた。

一週間でやめた。

そのとき手島は、自分が何をしていたのかを少しだけ理解した。

自分は、道を思い出していたのではない。街のほうを、毎日確かめていた。

三十年、この街は少しずつ変わってきた。店が潰れ、家が建ち、道が付け替えられる。手島はそれを、走りながら毎日更新していた。頭の中の街と、外の街を照らし合わせていた。

機械に従うと、その作業がなくなる。

街と自分のあいだにあったものが、一本切れる。

疲れたのはそのせいだと思う。

もう一つ、そのとき気づいたことがある。

手島は、この街が好きだと思ったことが一度もない。

生まれた街ではあるが、特別いいところだとも思っていない。若いころは出ていきたかった。いまも、旅行に行くなら遠くがいいと思う。

それでも三十年、毎日この街を確かめてきた。

好きかどうかとは別のところで、手島とこの街は結びついている。三十年ぶんの左折と、詰まった記憶と、更新し続けた地図で。

これを愛着と呼ぶのは、少し違う気がする。

もっと事務的なものだ。事務的だが、切れると疲れる。

妻にその話をしたことがある。妻は「そりゃそうでしょ」と言った。

「三十年見てたら、そうなるでしょ」

それだけだった。手島は「そうかな」と答えた。

妻のほうが正しいのかもしれないと、いまは思う。

エピローグ

手島はあと数年で定年になる。

区域は後輩に引き継ぐことになっている。引き継ぎは一週間で終わるらしい。ナビがあるからだ。

三十年が一週間で渡る。

そのことを、手島は悔しいとは思わない。悔しがるのは筋が違う。

ただ、渡らないものがあるとは思っている。

先月、大雨で幹線が冠水した日があった。ナビは全部の車を同じ迂回路に流して、そこも詰まった。

手島はその日、一件も遅れなかった。

営業所に戻ったとき、所長が「手島さん、どこ通ったんですか」と聞いた。

手島は説明しようとして、途中でやめた。説明すると三十分かかる。三十分かけて説明しても、その道は来年には使えなくなっているかもしれない。

「まあ、いろいろ」と答えた。

所長は「さすがですね」と言って、次の話に移った。

それきりだ。誰も書き留めなかった。

手島は今日も、機械が言い終わる前に曲がる。

――誇りは、要らなくなっても消えない。あなたは毎日、誰にも使われない何を覚えていますか。

ソウルミッション358

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