理由は、聞いていない
曾祖父母がこの国に渡ってきた。見た目では誰にも分からないので、一度も何系かと聞かれたことがない。自分を普通のこの国の人間だと思っている。それでも毎晩、寝る前に家中の火の元を見て回る。祖母がやっていた。理由は聞いていない。祖母はもういない。なぜ自分がこれをやるのか、説明できないまま続けている人生。

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第一章 毎晩の順路
ケイト・シグルドソンは、寝る前に家じゅうの火の元を見て回る。
順路は決まっている。台所のコンロのつまみを四つとも触る。オーブンの表示を見る。洗面所の暖房を見る。二階に上がって、寝室の隅にある古い電気ストーブのコードを抜く。夏でも抜く。
所要は二分ほどだ。
明かりは点けない。暗いままで歩ける。どこに段差があるか、どこの床が鳴るかを、体が覚えている。
三十九になる。この家に越して十一年になるが、越した翌日からやっている。
夫のマークは最初の年に一度だけ聞いた。「なんで暗いままやるの?」
ケイトは「点けると目が覚めるから」と答えた。
それは本当だ。ただ、質問の答えにはなっていない。
なぜ見て回るのかは、聞かれていない。
第二章 誰にも聞かれない
ケイトは、自分を普通のこの国の人間だと思っている。
そう思ってよい条件は揃っている。ここで生まれ、ここで育ち、この国の言葉しか話さない。父も母もここで生まれた。祖父母も、たしかここで生まれている。
渡ってきたのは曾祖父母の代だ。
北のほうの、寒くて小さな島から来たらしい。ケイトはその国に行ったことがない。言葉も知らない。知っているのは、姓の綴りが少し珍しいということだけだ。
顔立ちでは、誰にもわからない。
「何系ですか」と聞かれたことが、三十九年で一度もない。
これは彼女にとって、長いあいだ話題ですらなかった。自分の出自を意識する場面が、生活の中に一つもなかったからだ。書類にも聞かれない。街を歩いても誰も見ない。
去年、職場に新しく入った同僚が、名札を見て「珍しい名前ですね」と言った。
ケイトは「そうみたいです」と答えた。
それだけだった。話はそこで終わって、二人はコーヒーを取りに行った。
ただ、その日の帰り道、ケイトは一つ思い出した。
小学生のころ、社会科で「あなたの家族はどこから来ましたか」という課題が出たことがある。クラスの何人かが、地図に印をつけて発表した。
ケイトの番になって、彼女は「ずっとここです」と答えた。
先生は「そんなはずはないでしょう」と言った。悪気はなく、課題の趣旨を説明しただけだ。
家に帰って母に聞いたら、母が姓の由来を教えてくれた。ケイトは翌日それを発表した。クラスの誰も驚かなかったし、誰も面白がらなかった。
その日以来、ケイトはその話をしていない。三十年していない。
自分の出自は、聞かれれば答えられるが、誰も聞かない。そういう種類のものとして、ずっと手元にある。
第三章 姉が数えているもの
姉のアマンダは、家系図を作っている。
十年くらい前から趣味でやっていて、いまは四代前まで遡れている。船の記録も見つけたらしい。何年の何月に、どの港から出て、どこに着いたか。
姉は数字が好きだ。年号と人数を数える。
「曾祖母は十九歳で来たんだよ」と姉は言う。「兄弟が六人いて、三人がこっちに来た」
ケイトはそれを聞いて「へえ」と言う。
興味がないわけではない。ただ、あまり自分の話だという感じがしない。十九歳の女性が船に乗ったことと、自分が毎晩コンロのつまみを触ることのあいだに、線が引かれない。
ケイトは、何も数えていない。
数えられるものを持っていない。年号も、船の名前も、村の名前も知らない。
同じ家に育った姉妹が、まったく別のものを数えていた。
姉は書かれたものを集めている。ケイトが持っているのは、書かれなかったもののほうだ。
第四章 祖母
火の元を見て回るのは、祖母がやっていた。
ケイトは子どものころ、夏になると祖母の家に預けられた。両親が共働きで、長い休みのあいだ行くところがなかった。
祖母の家は古くて、部屋が多かった。
毎晩、寝る前に、祖母は家じゅうを回った。ケイトはよくついて回った。祖母は何も言わずに、台所から順に見ていった。コンロ、暖房、コンセント。最後に玄関のあたりで少し立ち止まって、それから寝室に行った。
明かりは点けなかった。
ケイトは、それが好きだった。暗い家の中を、祖母の手を持って歩く時間が。
祖母は説明しなかった。ケイトも聞かなかった。
子どもというのは、大人が毎日やっていることに理由があるとは考えない。それは天気と同じで、ただそうなっているものだ。
祖母は、ケイトが二十六のときに亡くなった。
そのころにはもう、ケイトは自分でそれをやるようになっていた。いつからかは覚えていない。一人暮らしを始めたころには、すでに毎晩やっていた。
第五章 聞ける人がいない
理由は、聞いていない。
一度も聞かなかった。
ケイトはそれを、三十代の半ばになってから悔やむようになった。
きっかけは、マークの母が入院したことだ。病室で、義母が昔の話を長くした。マークは黙って聞いていた。
その帰りの車の中で、ケイトは自分が祖母に何一つ聞かなかったことに気づいた。
祖母が何を怖がっていたのか。何があってああなったのか。あるいは、何もなかったのか。祖母もまた、そのまた母から見て覚えただけなのか。
聞ける人が、もういない。
母に聞いてみたことはある。母は「おばあちゃん、心配性だったからね」と言った。それ以上は知らなかった。姉も知らない。姉の家系図には、そういうことは載っていない。
だからケイトは、自分がなぜ毎晩それをやるのかを、説明できない。
火事に遭ったことはない。近所で火事があったこともない。怖い思いをした記憶もない。
やめようと思えば、たぶんやめられる。実用上の必要はほとんどない。いまの家のコンロは自動で止まる。
それでも毎晩やる。
やらないで寝ると、途中で起きる。そのことは何度か確かめた。
ケイトは最近、こう考えるようになった。
これは自分が始めたものではない。どこかから来て、自分のところをいま通っている。理由は途中で落ちた。落ちたまま、行為だけが残って動いている。
そう考えると、少し楽になる。理由を持っていないことが、自分の落ち度ではなくなるからだ。
一度、マークに話しかけたことがある。
「わたし、なんでこれやってるんだろう」
マークは本を読んでいて、「危ないからでしょ」と言った。
ケイトは「そうだね」と答えて、その先を言わなかった。
危ないからではない。危なくないことを毎晩確かめているのだから、危険が理由なら、二年もやれば終わっているはずだ。
彼女が確かめているのは、火ではない。
火が消えていることを見て、体の力が抜ける。その一瞬のために回っている。
つまり彼女は毎晩、安心のほうを取りに行っている。危険を避けているのではない。あの二分の終わりに来るものを、取りに行っている。
それに気づいたとき、ケイトは祖母のことを少し違うふうに思い出した。
祖母もあの二分を、たぶん取りに行っていた。だとすれば、あれは怖がっている人の動作ではなかった。
暗い家を歩いていた祖母の手が、ケイトはいまでも思い出せる。震えていなかった。
エピローグ
ケイトには子どもがいない。
去年、それがほぼ決まった。マークと話して、二人でそう決めた。悲しくないわけではないが、納得はしている。
だから、この習慣は自分のところで終わる。
そう思ったとき、ケイトは初めて、少し惜しいと感じた。
意味もわからずやっている二分間だ。誰の役にも立っていない。それでも、四代か五代のあいだ、誰かが毎晩やってきたものらしい。
自分が最後になる。
先月、姉の娘が泊まりに来た。九歳だった。
夜、ケイトが回っているとき、その子が起きてきて、ついてきた。
「何してるの」と聞かれた。
ケイトは「火が消えてるか見てるの」と答えた。
その子は「ふうん」と言って、一緒に歩いた。台所から二階まで、暗いまま、二人で回った。
その子が理由を聞かなかったので、ケイトも言わなかった。
言えなかった、というほうが正確だ。ケイトも知らない。
その子は翌朝、そのことを何も言わなかった。覚えているかどうかもわからない。
それでいい、とケイトは思っている。
――理由がわからない習慣は、たぶん、どこかから持ってきたものだ。あなたは毎晩、何を確かめてから眠りますか。
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