玄関で、話す
子どものころ、父の仕事と家を恥じた。友達を一度も家に上げなかった。三十年たっていまも、誰も家に入れていない。父はもう亡くなっていて、恥じたことを謝る相手がいない。恥じているのは家ではなく、家を恥じた自分のほうだと気づいてしまった人生。

朗読で聴く
第一章 上げなかった
戸山健三は、子どものころ、友達を一度も家に上げなかった。
一度もだ。小学校から高校まで、十二年間、誰も入れていない。
家は古い平屋で、街道から一本入った砂利道の突き当たりにあった。父は廃品回収をしていた。軽トラックで町を回って、鉄や新聞や家電を集める。集めたものは家の裏の空き地に積んである。
家の前には、いつも何かが置いてあった。
健三はそれが嫌だった。
正確には、それを見た誰かが何か言うかもしれない、ということが嫌だった。実際に言われたことは、ほとんどない。小学四年のときに一度、同級生が「戸山んち、ゴミ屋敷って言われてるよ」と言った。悪意ではなく、教えてくれたのだと思う。
健三はその日、家まで走って帰って、家の前の積み荷を一人で並べ直した。
父は何も言わなかった。
並べ直しているところを、父は軽トラックの荷台に座って見ていた。
健三が終わって振り返ると、父は「上手やな」と言った。
それだけだった。怒りもしなかったし、なぜ並べ直したのかも聞かなかった。健三はそのとき、父が全部わかっているのだと察した。
察したことが、いちばんこたえた。
父は知っていて、それでも何も言わなかった。責められたほうがまだ楽だった。責められれば、言い返せる。言い返せば、自分の側にも理屈があることにできる。
父は健三に、その逃げ道をくれなかった。
三十年たっても、健三はあの「上手やな」を覚えている。
第二章 玄関で止まる
健三はいま四十三になる。市役所に勤めて二十年になる。
結婚して、団地の三階に住んでいる。妻と、中学生の娘が一人。家は普通で、何も積んでいない。
それでも、人を入れない。
同僚を呼んだことがない。娘の友達が来ても、健三がいる日は玄関先で用事を済ませる。宅配の人にも、玄関から一歩も動かない。妻には「昔からそうだよね」と言われている。
体が、そこで止まる。
三十年で染みついた。入れないという判断をしているのではない。玄関の上がり框のところで、足がそれ以上前に出ない。
去年、健三は自分でそれに気づいて驚いた。市役所の職員研修で、家庭訪問の実習があった。他人の家に上がる側だった。
健三は、他人の家に上がるのも苦手だった。
「どうぞ」と言われて、靴を脱ぐまでに時間がかかる。
上げないことと、上がらないこと。両方できなくなっていた。三十年やって、健三の体は、家の境目のところで固まるようにできあがっていた。
第三章 妻が数えているもの
妻の由紀は、来客の数を数えている。
数えている、というより、覚えている。「今年うちに来たの、お義姉さんと、ガス屋さんと、あと娘の友達が二回」と、正月に振り返る。
由紀はそれを寂しがっているわけではない。「うちは静かでいいね」と言う。
健三は、断った数を数えていない。
数えられない。断る前に、断らなくて済むように動いているからだ。
飲み会の場所を選ぶとき、健三はいつも自分から店を提案する。誰かが「うちでやろうか」と言う前に、先に決めてしまう。娘の誕生日は外食にする。妻の実家に行くのは年に二度で、日帰りにする。
用意しているのは、断る理由ではない。断らなくて済む段取りだ。
同じ家に三十年近く住むことになる二人が、まったく別のものを数えていた。
由紀の数える三人は、実際に来た人だ。健三が管理しているのは、来なかった人の数ですらなく、来る話が出なかった回数だった。
一度、由紀に聞かれたことがある。
「呼びたくないの?」
健三は「面倒くさいだけ」と答えた。
嘘ではない。ただ、面倒くさいの中身を言っていない。
第四章 父の仕事
父は健三が三十五のときに死んだ。
肺をやられていた。長年、埃の中で働いていたからだと医者は言ったが、たばこのせいでもあるだろう。
葬式には、想像していたより人が来た。
町の小さな商店の主人たちが来た。近所の年寄りも来た。健三が知らない人が何人も来て、みんな父のことを「戸山さん」と呼んだ。
一人が健三に言った。
「お父さん、うちの倉庫、三十年ぶんきれいにしてくれたんだよ」
健三は「そうですか」と答えた。
そのあと、控室で一人になったとき、健三は少し泣いた。悲しかったからではない。
自分は父の仕事を、一度も見に行ったことがなかった。
軽トラックに乗せてもらったことは何度もある。でも、父が誰かの家で何をしているのかを、健三は知らなかった。知ろうとしなかった。知ったら、恥ずかしいと思っている自分が困ると、どこかでわかっていた。
父は健三に一度も「継げ」と言わなかった。
健三が市役所に受かったとき、父は「そうか」とだけ言った。喜んだのかどうか、いまもわからない。
第五章 恥じた自分
父が死んで、健三は少し楽になるかと思っていた。
そうならなかった。むしろ、はっきりした。
恥ずかしかったのは、父の仕事ではない。
父の仕事を恥ずかしいと思った自分のほうだ。
これは順番が逆に見えるが、健三の中では順番があった。小学四年のあの日から、健三はずっと父を恥じていた。父を恥じるような子どもだということを、同時に恥じていた。だから誰にも家を見せなかった。家を見せないことで、両方を隠した。
三十年、その構造が続いた。
父が生きているあいだは、まだ形があった。いつか父に何か言えるかもしれない、という可能性があった。実際に言うつもりはなかったが、可能性があるうちは、恥は未完成のままでいられる。
父が死んで、可能性が消えた。
謝る相手がいなくなった感情は、行き場がない。
謝れば済むことなら、済ませている。父は健三を責めたことが一度もないので、許してもらう必要すらない。それでも消えない。
これは悪いことをしたという後悔とは違う。そういう人間だった、ということへの感情だ。
やり直しようがない。
一度だけ、父にそれらしいことを言おうとした日がある。
健三が二十七のときだ。父の軽トラックの車検を手伝った。二人で工場まで乗っていって、帰りにうどんを食べた。
そのとき健三は「俺、子どものころ」と言いかけた。
父は「うん」と言って、うどんを食べていた。
健三はそのあとが続かなかった。
言えば、父に「そうか」と言わせることになる。父はきっと「そうか」としか言わない。そして父は、健三が長年そう思っていたことを、はっきりと知る形で受け取ることになる。
それは、自分が楽になるために父に荷物を渡す作業だった。
だから健三は「子どものころ、あのトラックの音で起きてた」と言い換えた。
父は「うるさかったやろ」と笑った。
健三も笑った。うどんを食べ終えて、家に帰った。
あれが最後の機会だった。以来、二人でそういう時間を持つことは一度もなかった。
エピローグ
去年、娘が学校の課題で「家族の仕事」を調べることになった。
健三は自分の仕事の話をした。娘は聞いて、それから「おじいちゃんは?」と言った。
健三は少し黙って、「廃品回収」と答えた。
娘は「かっこいいじゃん」と言った。
深い意味はなかったと思う。中学生が言いそうなことだ。健三は「そうかな」と答えた。
そのあと、娘は「見てみたかったな」と言って、宿題に戻った。
健三はしばらく動かなかった。
見てみたかった、と自分も思った。三十年、見に行かなかったのは自分だ。誰にも止められていない。
軽くはならなかった。
その夜、健三は押し入れから父の写真を出して、居間の棚に置いた。妻が「めずらしいね」と言った。健三は「まあ」と言った。
いまも、人は家に入れていない。
たぶん一生入れないだろうと思う。四十三で急に変わるとは思えないし、変わる必要も、たぶんない。妻はそれで困っていないし、娘も気にしていない。
ただ、玄関で話すとき、以前よりほんの少しだけ長く立っているようになった。
――恥は、相手がいなくなっても終わらない。あなたは毎日、誰を家に入れていませんか。
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