洗い場は、空けてある
十五年前、弟と二人で始めた店を、自分だけ降りた。安定を選んだ。店は続いている。年に一度、正月の一日だけ手伝いに行き、六時間、洗い場に立って丼を洗う。洗い場は、いつも空けてある。弟が空けておいてくれる。それが優しさだと知っていて、同時に、自分の居場所はもうそこしかないと言われている気もする人生。

朗読で聴く
第一章 降りた側
十五年前、木村隆一は自分から降りた。
弟の和也と二人で始めたラーメン屋だった。開店してちょうど三年目、ようやく行列と呼べるものができはじめた冬に、隆一は店を出た。
理由はいくつもあった。妻の節子が二人目を身ごもっていた。開業のときに借りた金がまだ半分以上残っていて、それは兄弟の連名だった。隆一は三十四で、まだ会社勤めに戻れる年齢だった。あと一年遅ければ戻れなかったと思う。
つまり、安定を選んだ。
そう言うと聞こえがいいが、正確には、怖くなった。
行列ができはじめた時期だったのがよくない、といまでも思う。うまくいきそうだと感じた瞬間に、うまくいかなかったときのことが急に具体的に見えた。あと一年やって駄目だったら、四十が見えてくる。子どもは二人になっている。そう考えたら、体が先に動いた。
和也は止めなかった。
「わかった」と言っただけだった。二十九だった弟は、そのあと一人で店を続けた。借金は和也が全部引き受けた。隆一が申し出たのではなく、和也が「兄ちゃんは家族があるから」と言った。
隆一はいま、四十九になる。中堅の設備会社で課長をしている。悪くない給料をもらい、家のローンはあと八年で終わる。上の子は大学を出て働いている。
判断は間違っていなかった、と人は言う。実際、数字だけを並べればそのとおりだ。
第二章 六時間
年に一度だけ、隆一は店に行く。
正月の三日。年始の営業が一番混む日で、和也の店はその日だけ人手が足りない。隆一は朝の九時に入って、夜の三時に出る。六時間、洗い場に立つ。
やることは決まっている。丼を洗う。れんげを洗う。ざるを洗う。湯切りのあとの網を洗う。それだけだ。
厨房には入らない。鍋には触らない。
十五年やって、体のほうが先に覚えた。深いシンクの前で、腰をわずかに落として、右足を半歩前に出す。その姿勢がいちばん長く立てる。腕は肘から下しか使わない。肩を使うと二時間で終わる。
それでも、翌日は腰が立たない。
四日の朝は必ず寝正月になる。節子が「毎年これなんだから」と言いながら、湿布を持ってくる。隆一は布団の中で天井を見ている。
痛いところは決まっている。腰の左側と、右の親指の付け根。指は湯と洗剤で十五年ぶんふやけて、正月のあと一週間ほど白くなる。
会社では、この体は何も使っていない。
書類を見て、電話をして、現場に行って、また戻る。三十年近くやって、隆一の体に残ったものは何もない。腹が出て、目が悪くなっただけだ。
年に一度、六時間だけ、体に何かが残る。
第三章 節子が数えているもの
節子は、回数を数えている。
「今年で十五回目ね」
三日の朝、出がけに必ずそう言う。数えているのは節子だけだ。手帳に書いているわけではないが、間違えたことがない。
節子は隆一が店に行くのをいやがらない。むしろ、行かない年があると心配する。一度、隆一が風邪をひいて行けなかった年があった。その年の正月、節子は隆一に何も言わなかった。かわりに、三日の夜に自分でラーメンを作った。うまくはなかった。
節子が数えているのは回数だ。年に一度、夫が弟のところへ行って帰ってくる。その回数が十五になった。彼女にとって、それは夫婦で積み上げた数字なのだと思う。
隆一は、何も数えていない。
洗った丼の数を数えたことは一度もない。数えようと思ったこともない。数えたら、その日が仕事になる。
同じ日を、同じように過ごしている二人が、まったく別のものを数えていた。
節子の十五は、隆一を安心させる。隆一が数えないでいるものは、数えても意味を持たない。
一度だけ、節子に聞かれたことがある。
「戻りたいと思う?」
隆一は「思わへん」と答えた。
嘘ではなかった。四十九でいまさら店はできない。体力がない。金もない。子どもの学費が終わっていない。
戻りたいわけではない。ただ、和也が羨ましい。
その二つが別のものだと気づくのに、隆一は十年かかった。
第四章 空けてある
洗い場は、いつも空けてある。
三日の朝、隆一が裏口から入ると、洗い場のシンクだけが空になっている。前の日の洗い物が全部片づけられていて、布巾がきれいに畳んで置いてある。
和也は何も言わない。「おう」と言って、そのまま麺を茹でている。
はじめの数年、隆一はそれを弟の気づかいだと思っていた。実際、そうなのだろう。手伝いに来た兄がすぐ仕事に入れるようにしてある。
七年目か八年目のとき、隆一は別の読み方をした。
ここがあんたの場所だ、と言われている気がした。
厨房ではなく、洗い場。それが十五年間、一度も変わっていない。
その年、隆一は一度だけ、寸胴のほうに手を伸ばそうとした。忙しくなって、和也の手が回っていない時間があった。
和也は見ていなかった。ただ、隆一のほうが途中でやめた。
自分の手つきが、もう店の人間のものではなくなっているのがわかったからだ。持ち方が違う。位置が違う。十二年触っていない体は、それを覚えていなかった。
隆一は洗い場に戻った。そのあと、洗い物の速さだけは誰にも負けないと思いながら、三時まで洗った。
そのとき初めて、羨ましいという言葉が浮かんだ。
弟が羨ましい。金でも、店の評判でもない。毎日その場所に立っている、ということが羨ましい。自分が三年でやめたことを、和也は十八年続けている。それだけのことが、隆一には一生かかっても届かない。
そして隆一は、その気持ちを誰にも言えなかった。
弟を羨むというのは、そういうことだ。相手を憎めない。和也は何も悪いことをしていない。むしろ借金を引き受けて、兄を毎年迎え入れている。
怒る相手がいない感情は、行き場がない。
だから隆一は、それを「応援している」と呼び替えて十五年生きてきた。
第五章 同じ側
去年の正月、片づけのあとに和也が言った。
「兄ちゃんが辞めたから、俺は辞められへんかったんやで」
笑いながら言った。責める調子ではなかった。
隆一は返事ができなかった。
和也は続けた。二年目に一度、やめようと思ったことがあるという。体を壊しかけて、味が安定しなくて、借金だけが残っていた。そのとき、兄が先に降りていた。
「二人とも降りたら、ただの失敗やんか」
だから続けた、と和也は言った。「兄ちゃんの分もある」とは言わなかった。ただ、続けるしかなかった、と言った。
隆一は、その夜のことをよく覚えている。
軽くならなかった。
弟が自分のせいで縛られていたと知って、罪悪感が来るのかと思った。来なかった。かわりに来たのは、もっと静かなものだった。
和也も、何かを羨んでいたのだ。
十八年前のある夜、和也は降りた兄を羨んだのかもしれない。降りられる側にいた兄を。
そうだとすると、二人は同じ場所にいた。十五年、向かい合っていると思っていたが、実は並んでいた。
それを知っても、隆一の羨ましさは減らなかった。
減らなかったが、形が変わった。自分ひとりが抱えている恥ずかしいものではなくなった。それだけだ。
エピローグ
隆一は今年も、三日に行った。
十六回目になる。節子が朝、そう言った。
洗い場は、空けてあった。布巾も畳んであった。和也は「おう」と言って、麺を茹でていた。
去年、常連の年寄りが隆一に一言だけ言ったことがある。年に一度しか見ない顔なのに、その人は隆一を覚えていた。
「あんた、洗うのうまいな」
それだけ言って、帰っていった。
隆一はしばらく手を止めた。うまい、と言われたことが、四十九年生きてきて初めてだった気がした。会社では二十年以上、うまいと言われるような仕事をしていない。
洗い場でしか言われないのだとしても、言われたことに変わりはない。
来年も行くだろう。
体が動かなくなるまで行くと思う。そのあと、甥の翔太が店を継ぐという話になっている。翔太が継いだら、洗い場は誰が空けるのだろう。
そこまでは考えないことにしている。
三日の朝、裏口を開けて、空いているシンクを見る。そこに立つ。それだけを、あと何回できるかという話でしかない。
――うらやむことと、願うことは、同じ形をしている。あなたは毎年、どこへ戻っていますか。
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