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ドアの前に置く

十年、閉じたドアの前に食事を置き続けている。中の子が食べたかどうかは、翌朝の皿でしかわからない。話しかけることも、開けることもできないまま、置くことだけを続けている人生。

ドアの前に置く

朗読で聴く

第一章 開いていないドア

二階の北側の部屋のドアが、十年、開いていない。

正確には、家族の前では開いていない。深夜、風呂と台所を使う音がするので、出てくることはある。木下昭夫は、その音で息子がまだ生きていることを確認している。

息子は二十九になった。

高校二年の秋から学校へ行かなくなった。理由は最後までわからない。いじめの形跡は学校も認めなかったし、本人も何も言わなかった。ただ、ある朝、行かなくなった。

最初の一年は、いろいろやった。話しかけた。理由を聞いた。専門の相談窓口にも行った。医者にも連れて行こうとした。妻と方針で言い争ったこともある。

二年目に、ドアの鍵がかかった。

三年目からは、昭夫は何もしなくなった。

妻の弓子とは、この十年で何度も話し合った。

早い時期は毎晩のように話した。誰のせいか、何が悪かったのか、あのとき何をすべきだったのか。話すたびに、二人とも少しずつ削れていった。

五年目あたりから、話さなくなった。話しても何も出ないとわかったからだ。

夫婦仲が悪くなったわけではない。むしろ、余計なことを言わなくなったぶん、静かに保たれている。二人でテレビを見て、食事をして、盆を運ぶ。

正確に言えば、一つだけ続けている。

第二章 足音を消す

朝と夜、ドアの前に食事を置く。

盆に載せて、廊下の床に置いて、何も言わずに戻る。声はかけない。ノックもしない。ドアの前で立ち止まる時間も、できるだけ短くする。

十年やって、昭夫は足音を消す体になった。

廊下のどの板が鳴るかを覚えている。体重の乗せ方も変わった。妻に「あなた、いつのまにか気配がなくなったね」と言われたことがある。笑い話のように言ったが、二人とも笑わなかった。

体は、やることに合わせて作り替えられる。

昭夫は建設会社で三十年働いた。現場では大きな声を出していた。定年後の二年で、その声はほとんど出さなくなった。家の中では、必要なこと以外を言わない。

必要なことも、あまりない。

現場にいたころは、危険を知らせるために声を張った。声が届くかどうかが、人の安全に直結する仕事だった。

いまは逆になった。届かないように、気づかれないように動く。三十年かけて作った体を、十年かけて作り替えた。

どちらも仕事だと、昭夫は思っている。

第三章 妻が数えているもの

妻の弓子は、食べた回数を数えている。

翌朝、盆を下げるときに、空になっているかどうかを見る。空だった日をカレンダーに小さく印をつけている。十年ぶんの手帳が、居間の引き出しに積んである。

「今月は二十二回」と弓子は言う。「先月より三回多い」

その数字が何を意味するのかは、二人とも知らない。増えたからよくなっているのか、たまたまなのか、確かめる方法がない。それでも弓子は数える。

昭夫は、置いた回数を数えていない。

数えたら、たぶん続かないと思っている。十年で何回になるかを計算してしまったら、その数字の大きさに負ける気がする。

同じ家に住み、同じ盆を運んでいる二人が、まったく別のものを数えていた。

弓子は空になった皿を数え、昭夫は、数えないことを選んでいた。

どちらが正しいということはない。弓子は数字で希望をつなぎ、昭夫は数字を見ないことで続けている。やり方が違うだけで、二人ともまだやめていない。

第四章 開ける方法がわからない

十年のあいだに、何度も考えた。

ドアを開ければいい。強引にでも顔を見て、話をすればいい。世の中にはそういう方法を勧める人もいる。実際、七年目にそういう団体の説明を聞きに行った。

やめた。

説明を聞いていて、これは自分たちのためのものだと思ったからだ。何かをしている感じになれる。前に進んでいる気がする。でも、開けたあとに何を言うのかを、昭夫は一つも持っていなかった。

言葉がないまま開けるのは、こじ開けるだけだ。

いま開けて、何を言うのか。十年何もしなかったことを謝るのか。それとも、これからどうするんだと聞くのか。どちらも、言った瞬間に相手を追い詰める。

だから開けない。

これが正しいのかどうか、昭夫にはわからない。臆病なだけかもしれない。そう言われたら、否定できない。

わからないまま十年たった。

同じ立場の親の会に、一度だけ行ったことがある。

十人ほどが円になって座り、順番に話した。昭夫の番が来て、何も言えずに終わった。話すことがなかったのではない。話せば、この十年が「事例」になってしまう気がした。

帰り道、少し後悔した。あそこで話せる人は、たぶん強い。自分にはできなかった。

それきり行っていない。

第五章 それでも置く

去年の冬、昭夫は入院した。

大きな病気ではなかったが、二週間ほど家を空けた。そのあいだ、盆は弓子が運んだ。

退院して家に戻った日の夜、昭夫はいつものように盆を置きに行った。

置いて、戻ろうとしたとき、ドアの向こうで音がした。

椅子が動くような、小さな音だった。それだけだった。声はしなかったし、ドアも開かなかった。昭夫は数秒立ち止まって、それから戻った。

居間で弓子に「音がした」と言った。弓子は「そう」と言った。二人ともそれ以上は言わなかった。

あの音が何だったのかは、わからない。たまたま動いただけかもしれない。父が戻ってきたことに反応したのかもしれない。確かめる方法はない。

ただ、その日から昭夫は、置くときに一秒だけ長く立つようになった。

一秒だけだ。声はかけない。ノックもしない。ただ、一秒。

それが何かを変えるとは思っていない。十年変わらなかったものが、一秒で変わるわけがない。

あの一秒に意味があるのかどうかも、わからない。

たぶん、息子は気づいていない。気づいていたとしても、何とも思っていないかもしれない。昭夫のほうが、勝手に一秒を足しているだけだ。

それでもいい、と昭夫は思っている。何かをした気になりたいのではない。ただ、あの音を聞いたあとで、以前とまったく同じようには立てなくなった。それだけのことだ。

それでも、置く。今日も置いた。明日も置く。

エピローグ

昭夫は六十六になった。

自分がいつまでこれを続けられるかを、最近は考える。あと十年か、十五年か。そのあと、誰が置くのか。

弓子と一度だけその話をした。弓子は「そのときはそのときでしょう」と言った。強い言い方ではなく、疲れた言い方でもなかった。事実を言っただけという口調だった。

昭夫は、その言い方に助けられている。

先を心配しはじめると、いまの一回が運べなくなる。十年やってわかったのは、遠くを見ないほうが続くということだった。今日の分だけを見る。明日は明日で見る。

これを前向きとは呼べない。ただ、続けるための唯一の姿勢ではある。

昭夫もそう思う。

先のことはわからない。わかっているのは、今日の分の盆をもう置いた、ということだけだ。

この十年に意味があったのかどうか、昭夫は考えないようにしている。

意味を探しはじめると、答えが出ないことに耐えられなくなる。意味がなかったという結論に辿り着いたら、明日の盆が運べなくなる。

だから考えない。ただ運ぶ。

考えないことを選べるようになるまでに、七年かかった。

明日の朝、皿を下げに行く。空になっているかどうかは、そのときにわかる。

――あなたは毎日、なにを置き続けていますか。

ソウルミッション358

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