四百年ぶりの朱
四百年ぶんの煤を、綿棒一本で一ミリずつ取り除く。その下から、描いた人が見ていた色が出てくる。自分は何も作っていないし、名前も残らない。それでも、あの人が見た色を見た人間が四百年ぶりに一人増える。その立ち会いのために手を生活から切り離し続ける人生。

朗読で聴く
第一章 煤の下
運び込まれてきた四枚は、ほとんど真っ黒だった。
京都の山あいにある寺の、本堂の脇の間にはまっていた襖絵だという。四百年ほど前のものと見られている。長いあいだ蝋燭と線香の煙にさらされて、表面に煤が層になっていた。
根岸章は、台の上に寝かせたその一枚に、顔を近づけた。
黒い。ただ黒いのではなく、黒の下に何かがある黒だった。斜めから光を当てると、ところどころに金が沈んでいるのが見える。松のようなものの枝ぶりが、うっすらと浮かんで、また消える。
「なんの絵か、わかりますか」と、寺の人に聞かれた。
「まだ、わかりません」と章は答えた。本当だった。
わかっているのは一つだけだ。この下に、四百年、誰も見ていない色がある。
手をつける前に、まず一か月かけて調べる。
顕微鏡で表面を見て、どの層が煤で、どこから絵具かを判別する。ごく小さな範囲で溶剤の試験をして、下の絵具が動かないことを確かめる。写真を数百枚撮る。図面を起こす。傷や剥落の位置を一つずつ記録する。
そこまでやって、ようやく綿棒を持つ。
急いで始めた仕事は、必ずどこかで取り返しがつかなくなる。取り返しがつかない、というのがこの仕事のいちばん重い言葉だった。絵具は一度落ちたら戻らない。四百年もったものを、こちらが数秒で終わらせることができる。
章は五十二歳になる。この仕事を二十七年やっている。
第二章 手
冬でも、章は水仕事をしない。
洗い物も、風呂掃除も、雑巾がけもしない。妻が全部やっている。結婚したときにその話をして、妻は「わかった」と言った。以来、ずっとそうしている。
手が荒れると、指の腹の感覚が鈍る。ひび割れると、そこから作品に何かが移る可能性がある。爪は常に短く切りそろえて、削って、角を落としてある。
この手は、生活から切り離してある。
娘が小さかったころ、抱っこをせがまれて、一瞬ためらったことがある。爪を短くしていても、赤ん坊の肌には強い。そのときの娘の顔を、章はまだ覚えている。
結局は抱いた。抱いたが、あの一瞬のためらいは残った。
代償という言い方は、大げさだと思う。ただ、この体の一部分は、自分の生活のためには使われていない。四百年前の誰かのために取ってある。
そういう体で、二十七年生きてきた。
第三章 杉田くんが数えているもの
工房には、杉田という三十代の技術者がいる。
丁寧で、手が速く、記録もきちんと付ける。将来この工房を支えるのは彼だろうと章は思っている。
杉田くんは、面積を数えている。
一日に何平方センチ除去できたか。作業日誌にその数字を毎日書いている。工程管理には必要な数字で、見積りにも予算にも直結する。彼のやり方は正しい。
章は、色を数えている。
その日、煤の下から何色出てきたか。金、緑青、群青、びゃくろく、そして朱。多い日で二色。何も出ない日のほうが、ずっと多い。
同じ台の前に立って、同じ綿棒を持っている二人が、まったく別のものを数えていた。
杉田くんの数字は日誌に残り、報告書に載り、次の見積りの根拠になる。章の数えているものは、どこにも書く欄がない。
「根岸さん、今日どれくらいいきました?」と杉田くんに聞かれると、章は「手のひら一枚ぶんくらいかな」と答える。実際、一日に進むのはそれくらいだ。
綿棒で、一ミリずつ拭う。力を入れれば早いが、力を入れれば下の絵具も持っていく。取り除きすぎたものは、二度と戻らない。
だから遅い。この仕事は、どうやっても遅い。
一度、杉田くんに聞かれたことがある。何が楽しいんですか、と。
悪気はなかった。単純に不思議だったのだと思う。一日中、黒いものをこすっているだけの日が何十日も続く。そのあいだ、絵は何も変わらない。
章は少し考えて、「たまに出るからかな」と答えた。
杉田くんは「たまに、ですか」と言って笑った。それ以上は説明しなかった。説明したところで、たぶん伝わらない。伝わるとすれば、彼自身に一度それが起きたときだけだ。
第四章 朱が出た
十一月の夕方だった。
その日、章は一枚目の右下、松の根元にあたる部分を進めていた。三日前から同じあたりをやっていて、何も出ていなかった。杉田くんはもう帰っていて、工房には章一人だった。
綿棒が、いつもと同じように黒を拭った。
その下から、朱が出た。
三ミリほどだった。針の先ほどの点ではなく、はっきりと帯になって、赤が現れた。四百年ぶんの煤の向こうで、その赤はまったく褪せていなかった。
章は手を止めた。
綿棒を置いて、椅子を少し引いて、座った。それから、しばらく動かなかった。声は出さなかったが、出さなかったというより、出すという発想がなかった。
見ていた。ただ見ていた。
だんだんと、頭の中でいくつかのことが順番に立ち上がってきた。
この朱は、自分が出したのではない。四百年前に絵師がここに置いて、それきりずっとここにあった。自分は、上に乗っていたものをどけただけだ。作ってはいないし、直してもいない。
けれど、どけなければ、この朱は永久に誰にも見られなかった。
そして、いま。
四百年のあいだに、この朱を見た人間は二人しかいない。置いた人と、いまここにいる自分だけだ。
そう思ったとき、章は、自分がなぜこの仕事を選んだのかがようやくわかった気がした。二十七年かかった。
どのくらいそうしていたか、わからない。
途中で一度、立ち上がって、部屋の照明を落とした。窓からの光だけで見たかった。四百年前にこの絵が置かれていた場所には、電気がない。絵師が見ていたのも、こういう光のはずだった。
朱は、その光でも褪せなかった。むしろ、そのほうが深く見えた。
章は思った。この赤を選んだとき、あの人は迷っただろうか。ここにこの色を置くと決めたとき、うまくいったと思っただろうか。
聞けない。四百年前の人には何も聞けない。
それでも、いま自分が見ているものは、その人が最後に見たものと同じだ。同じ顔料の、同じ粒の並びを、同じ角度の光で見ている。これ以上近づく方法はない。
暗くなるまで、章は工房にいた。
家に帰って、妻に「朱が出た」と言った。妻は「よかったね」と言って、それ以上は聞かなかった。二十年以上そういうやりとりをしてきたので、章もそれ以上は言わなかった。
言わなくてよかった。うまく言える気がしなかった。
第五章 二人目
亡くなった師匠が、若い章にこう言ったことがある。
「わしらはな、この絵に触る二人目や」
当時の章は意味がわからず、はいと答えた。二十年以上たって、あの夕方に、その言葉が戻ってきた。
描いた人が一人目。触るのは、自分たちが二人目。あいだの四百年に、誰も触っていない。触ってはいけなかったからだ。
二人目の仕事は、一人目のものを取り戻すことだけだ。そこに自分のものを足してはいけない。
修復報告書には、担当者として章の名前が載る。載るが、それだけだ。この襖絵が図録に出るとき、掲載されるのは絵師の名前で、章の名前はどこにもない。将来この絵を見に来る人も、誰が煤を取ったかは知らない。
それでいいと、章は思っている。
自分の名前が残らないことと、自分がしたことが残らないことは、違う。名前は残らない。朱は残る。
エピローグ
修復が終わって、襖絵は寺に戻った。
翌年の秋、特別公開があった。章は自分の休みを使って、一般の客に混ざって見に行った。誰も彼が誰だか知らない。
脇の間の前に人が並んでいて、そこから中を覗く形になっていた。
順番が来て、章は自分の仕事を見た。四枚の襖に、松と、金の霞と、根元の朱がある。四百年前と同じ場所に、同じ絵としてはまっている。
前にいた年配の女性が、連れの人に「ここの赤、きれいねえ」と言った。
章は後ろで、それを聞いていた。
あの朱を見た人間が、また一人増えた。これから何人も増えていく。増えていく人たちは、誰も自分のことを知らない。
そのほうが、うまくいっている証拠だと思った。
――あなたは毎日、なにに立ち会っていますか。
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