指が、読んだ
四十八で光を失い、二年かけて指で点字を読めるようになる。毎日ただ点を撫で、全部おなじ凹凸にしか感じられない日を積み重ねた先で、ある朝とつぜん点が字になる。身体が新しい読み方を覚えた、その一瞬に立ち会う人生。

朗読で聴く
第一章 最後に見た本
辻村早苗は、二十年のあいだ図書館にいた。
市立の中央図書館で、返却された本を棚に戻す仕事から始めて、最後は選書も任されるようになった。館内のどこに何があるかは、頭ではなく体で覚えていた。利用者に「あれ、なんでしたっけ」と聞かれて、題名も著者もわからないまま、棚の前まで連れていって当てたことが何度もある。
見えなくなるとは、思っていなかった。
四十代の半ばから、視野が少しずつ欠けはじめた。最初は目の疲れだと思った。診断がついたときにはもう進んでいて、四十八の冬に、ほとんど何も見えなくなった。
最後にはっきり見た本のことを、早苗は覚えている。
閉館後の書庫で、返却されたまま棚に戻していなかった一冊を手に取った。植物図鑑だった。開いたページに、名前を知らない白い花の絵があった。読もうとして、文字が滲んで、そのまま閉じた。
あれが最後だった。何の花だったのかは、いまも知らない。
第二章 指は何も知らない
目は戻らない。それは早い時期に受け入れた。
受け入れられなかったのは、本が読めないことのほうだった。音声で聞くことはできる。それは早苗もすぐに使えるようになった。けれど、聞くのと読むのは違う。読むというのは、自分の速さで進んで、戻って、止まって、また進むことだ。聞いているあいだ、自分は待っているだけだった。
音声で聞く本には、指を挟む場所がない。
紙の本を読んでいたころ、早苗は無意識に何度も戻っていた。三行前の言い方が引っかかって戻る。人物の名前を確かめに戻る。そのたびに、自分がどこにいるかを手が知っていた。厚みで残りがわかった。
音声にはそれがない。前へ流れるだけで、自分の位置が体でわからない。便利だが、自分の速さではない。
五十のとき、点字の教室に通いはじめた。
初日に、先生が言った。「指の腹で読みます。押さえないで、撫でるように」
早苗は自分の手を見た。見えないので、感じた。
五十年、この手は何かを掴むか、押すか、握るかしかしてこなかった。読むという仕事を、この指は一度もやったことがない。目はもう戻らないが、指は、まだ何も知らなかった。
新しいことを始めるのに五十は遅いですかと聞いたら、先生は「遅いです」と答えた。それから「でも、間に合います」と言った。
第三章 福原くんが数えているもの
教室には五人いた。そのなかに、福原という二十代の男性がいた。
生まれつき目が見えない人で、点字は子どものころから読める。彼が通っていたのは、速く読むための訓練のためだった。
福原くんは、分速を数えていた。
一分間に何文字読めるか。彼のノート、というより録音メモには、その数字が毎回入っているらしい。三百字を超えたい、と言っていた。仕事で大量の資料を読む必要があるのだという。
早苗は、一文字を数えていた。
正確には、まだ一文字も数えられていなかった。最初の一年、触れた点は全部おなじ凹凸だった。指の下にあるのが「あ」なのか「え」なのか、まったく区別がつかない。ざらざらした紙があるという以上のことが、何も起こらない。
同じ教室で、同じ紙に触れている二人が、まったく別のものを数えていた。
福原くんは分速を数え、早苗は、まだ数えられるものを持っていなかった。
一度、福原くんに言われたことがある。
「辻村さん、触りすぎです」
強く押すと、指の感覚がつぶれて、かえって読めなくなる。頭ではわかっていた。それでも、なんとか読み取ろうとすると、力が入る。読みたい気持ちがそのまま邪魔をする。
「軽く、通り過ぎる感じで」と福原くんは言った。「読もうとしないほうが、読めます」
第四章 二年目の朝
その朝、早苗は台所にいた。
夫は仕事に出ていた。朝の家事を終えて、いつもどおり三十分、練習することにしていた。教材の紙を出して、指を置いた。
一行目を、いつものように撫でた。
そこで、手が止まった。
こ、と思った。
思ったのではない。指が、そう言った。頭で考えて組み立てたのではなく、触れた瞬間に「こ」が来た。それまでの二年間、一度も起きなかったことだった。
早苗は指を離して、もう一度置いた。
こ。
間違いかと思って、三回やった。三回とも「こ」だった。そのまま右へ進んだ。ん。に。ち。は。
こんにちは。
そこまで読んで、早苗は動けなくなった。
手が震えていた。声は出なかった。台所に一人で、紙に指を置いたまま、しばらくそのままでいた。
だんだんわかってきた。いま、この体の中で、新しいことが起きた。目が治ったのではない。目はもう二度と使えない。そのかわりに、指が、読む器官になった。
五十二年生きてきて、体が新しい能力を獲得したのは、これが初めてだった。
そのあと、早苗は同じ行を何度も読んだ。
十回か、二十回か。飽きなかった。読むたびに、指の下で同じことが起きる。触れる、わかる、次へ行く。この順番が、体の中でつながっている。二年間、この順番だけが繋がらなかった。
途中で、コーヒーを淹れようとして、やめた。手を洗いたくなかった。
ばかげているとわかっている。洗ったくらいで指が忘れるわけがない。それでも、この指をこのままにしておきたかった。
昼を過ぎて、日が台所に入ってきて、紙があたたかくなった。早苗はまだ読んでいた。
夫が帰ってきたのは夜だった。早苗は「読めたよ」と言った。夫は「何が」と聞いた。「こんにちは、が」と言うと、夫は少し黙ってから、「すごいな」と言った。
伝わっていないな、と早苗は思った。それでよかった。
伝わる話ではない。二年ぶんを知っている人間は、この家に一人しかいない。分けられないものを持っているというのは、こんなに落ち着いたことなのかと、早苗は少し驚いた。
五文字だった。五文字に、二年かかった。その二年は誰にも見せられなかったし、見せても何も起きていない二年だった。
第五章 遅く読む
見えていたころ、早苗は読むのが速かった。
それが自慢だった。図書館の仕事では速さが力になる。新刊の目録を一日で確認して、内容を把握して、選書会議に持っていく。同僚に「よく読めますね」と言われるのが嬉しかった。
いまは、一ページに三十分かかる。
小説を一冊読み終えるのに、何か月もかかる。速さでいえば、見えていたころの百分の一にもならない。
けれど、あるとき気づいた。
速く読んでいたころに読んだ本のうち、内容を覚えているものは、そう多くない。目次と、要点と、書評に使える一行。それだけを取り出して、あとは通り過ぎていた。
いま読んでいる本は、全部覚えている。
一文字ずつ指でたどった文章は、忘れようがない。あの日の午後、どのページのどのあたりで詰まったか、そこまで含めて残っている。
点訳ボランティアの大西さんという年配の女性に、その話をした。
大西さんは四十年、手で点字を打ってきた人だった。「わたしもね」と大西さんは言った。「点訳した本は、全部覚えてるのよ。打ってるから」
打つのも遅い。読むのも遅い。遅いところにしか残らないものが、たしかにある。
見えていたころの読み方を、早苗は失った。それは間違いなく失ったのであって、別の形で手に入れ直したわけではない。速く読める人がうらやましい日もある。
ただ、失ったものの場所に、何も入らなかったわけでもなかった。
エピローグ
去年、元の職場から連絡があった。
図書館が点字資料の窓口を作るという。担当を探していて、名前が挙がったのだという。
「読むのが遅いですよ」と早苗は言った。
電話の向こうの元同僚は、少し笑って、「それでいいんです」と言った。「速い人はもう足りてるので」
早苗は週に二日、図書館にいる。
利用者が来て、こういう本はありますか、と聞く。早苗は棚の位置を体で覚え直している最中で、まだ時間がかかる。それでも、二十年前とおなじように、題名がわからないまま棚の前まで案内できた日があった。
その日の帰り道、早苗は少しだけ寄り道をした。理由はない。ただ、歩きたかった。
――あなたは毎日、なにを覚えていますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所