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光を投げる人

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第一章 消えない問い

田中誠一は、東京郊外のワンルームマンションの窓から、鉛色の空を見上げていた。

三十七歳。かつてNGOで紛争地域の子どもたちを支援していた彼は、今は地元の小さな印刷会社に勤め、毎朝同じ時刻に起き、同じ電車に乗り、同じデスクに座る。燃え尽きた、とよく言われるような生き方だった。しかし誠一自身は、それが燃え尽きとは少し違うと感じていた。むしろ、何かが彼の中でゆっくりと、しかし確実に、再構成されようとしているような気がしていた。

スマートフォンには今夜もニュースが流れていた。中東のある国で、また爆撃があった。子ども三十二人が死んだ。学校が標的になった。

誠一はそのニュースを三分間見続け、それからアプリを閉じた。

なくならないのか。

声に出しているつもりはなかった。しかし唇が動いた。五年前、シリアの難民キャンプで、十歳の少年に言われた言葉が、ふいに蘇った。

「おじさんは、戦争をなくせると思う?」

誠一は答えられなかった。「努力している人たちがいる」と言いかけて、やめた。少年の目は、答えを求めていたのではなかった。ただ、誰かに聞いてほしかったのだ。この問いを。

その夜から誠一は、どこかで答えを探し続けていた。


第二章 他人事という嘘

翌朝、誠一の職場に新しい派遣社員が来た。名前は村上朝陽、二十四歳。明るい目をしていたが、ランチの時間に彼女がひとりで食べていることに気づいた誠一は、声をかけた。

「一緒にどうですか」

朝陽は少し驚いたが、うなずいた。

コンビニ弁当を並べて食べながら、彼女は言った。「ニュース、見ました?昨日の爆撃」

「見た」

「私、最近ニュース見るのやめようかと思って」朝陽は箸を止めた。「見ても何もできないし、気持ちが沈むだけだし」

誠一はしばらく黙っていた。かつて自分も、同じことを考えたことがあった。いや、考えるどころか、実際に何ヶ月もニュースを遮断していた時期があった。それが「セルフケア」だと思っていた。

「でも」と彼は口を開いた。「見ないようにしても、世界は変わらないですよね」

「じゃあ見たら変わるんですか」朝陽は少し鋭く言った。責めているのではなく、本当に問いたいのだ、と誠一は感じた。

「変わらないかもしれない」誠一は正直に言った。「でも、自分が変わる」

朝陽は目を上げた。

「遠い国の戦争を、他人事だと思っている間は、自分の中に戦争がある気がして」誠一は続けた。うまく言葉にできているかどうかわからなかった。「他人を傷つけること、誰かを無視すること、そういう小さなことが、全部つながってる気がするんです。だから、他人事にしないって決めたほうが、自分が楽になる」

朝陽は少し考えてから言った。「それ、すごく変わった考え方ですね」

「変ですか」

「変じゃないです」彼女は笑った。「変わってる、って言ったんです。いい意味で」


第三章 魂の記憶

その夜、誠一は夢を見た。

広大な光の野原に立っていた。自分の体は半透明で、光を通していた。周りには無数の人々がいたが、顔はなく、ただ光の輪郭だけがあった。誰もが何かを胸に抱えていた。重石のようなもの、刃物のようなもの、泥のようなもの。

誠一の前に、老いた女性の輪郭が現れた。シリアの難民キャンプで出会った、通訳の女性に似ていた。彼女は何も言わずに、誠一の胸に手を当てた。

温かかった。そしてその瞬間、誠一は理解した。言葉としてではなく、体全体で。

魂は何度でも生まれ変わる。しかし毎回、同じ問いを持って生まれてくる。なぜ人は傷つけ合うのか。なぜ愛は届かないのか。

問いそのものが、魂の羅針盤なのだと、夢の中で誠一は知った。

目が覚めたとき、彼は泣いていた。悲しくはなかった。ただ、長い間どこかに置き忘れていたものを、ようやく取り戻した感覚があった。


第四章 愛と光を放つということ

翌週、誠一は地域のボランティアセンターを訪ねた。難民支援の経験を活かして、日本に来た外国人の子どもたちに日本語を教える活動をしているグループがあると、朝陽が教えてくれたのだ。

最初の授業で、誠一の前に座ったのは、アフガニスタンから来た十二歳の少女、ナリンだった。日本に来て半年、学校で言葉が通じず、ひとりで昼食を食べているという。

挿絵

誠一は彼女に、自分の名前の漢字を書いて見せた。「誠」という字の意味を、簡単な言葉で説明した。

「まこと、というのはね、本当のことを言う、という意味なんだ」

ナリンは興味深そうに見ていた。そして自分のノートに、ひらがなで「まこと」と書いた。

「せんせい」とナリンは言った。「わたし、ともだち、いない」

「そうか」

「さびしい」

誠一は一瞬、何か大きなことを言おうとした。励ましの言葉、希望の言葉。しかし彼はそれをしなかった。

「うん、さびしいよね」とだけ言った。

ナリンは少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。

その帰り道、誠一は歩きながら考えた。愛と光を放つとはどういうことか。そこには、大きな演説も、壮大な計画も、必要ないのかもしれない。ただ、誰かの「さびしい」に「さびしいよね」と言えること。その小さな一致が、何かをつなぐのかもしれない。

しかしそれだけでいいのか、という問いも残った。


第五章 投げかけたもの

三ヶ月後、誠一は朝陽と一緒に、地域の小学校で「世界の子どもたちの話を聞く会」を企画した。ナリンにも話してもらった。彼女は緊張しながら、自分がアフガニスタンで見た空の話をした。

「やまのうえから、ほしがたくさん見えた。ここのほしと、おなじほし」

子どもたちは静かに聞いていた。

会の後、担任の教師のひとりが誠一に近づいてきた。「うちのクラスに、いじめがあって。でも今日の話を聞いて、何か変わるかもしれないと思った」

誠一は「そうですか」と言ったが、内心では複雑だった。これで世界が変わるとは思えなかった。ニュースには今日も爆撃の報道があった。争いはなくならない。自分がやっていることは、あまりに小さい。

その夜、誠一はかつてシリアで撮った写真を見返した。あの十歳の少年の写真もあった。

おじさんは、戦争をなくせると思う?

今なら、答えられる気がした。「なくせないかもしれない。でも、自分の中の戦争を終わらせることはできる。そして、自分の周りに愛を投げ続けることはできる。それが未来を創るかどうか、生きているうちにわかるかどうかもわからない。でも、信じて投げる」

誠一はノートに一行書いた。

投げかけたものが、未来を創る力になると信じ行動する。

それが答えだった。完全な答えではない。しかし今の自分に持てる、最も誠実な答えだった。


エピローグ 光の連鎖

それから二年が経った。

ナリンは中学生になり、日本語と英語とダリ語を話す「通訳ボランティア」として、同じセンターで働き始めた。彼女が教えた日本語の子どもたちの中から、将来国際支援の仕事をしたいと言う子が出てきた。

朝陽は会社を辞め、難民支援のNPOに転職した。

誠一はまだ印刷会社に勤めながら、週に一度、ボランティアを続けている。世界の紛争はなくならない。ニュースは今日も重い。しかし彼は、もうニュースを閉じない。

見る。感じる。自分の問題として受け取る。そして、できることを投げる。

誰かがそれを受け取る。受け取った誰かが、また別の誰かに投げる。光は、そうやって伝わっていく。燃え広がるのではなく、静かに、しかし確実に。

窓の外、今日の空は青かった。

誠一は空を見上げながら、かつて夢で感じたことを思い出した。

魂は何度でも生まれ変わる。そして毎回、同じ場所に戻ってくる。愛を選ぶか、それとも恐れを選ぶか、という、たったひとつの岐路に。

彼は今日も、愛を選んだ。

それが、新たな世界を創るということだと、誠一はようやく、骨の髄まで理解していた。

殺し合う世界に終止符を打つのは、どこか遠くの英雄ではない。他人事ではなく、自分の問題として、今日ここで、平和への道を選ぶ、ひとりひとりの人間なのだと。

そして、投げかけたものは、必ず、どこかで光になる。

―― なくならないのか、と問い続けながら、愛と光を放つ。それが魂の、再生の時。

エピローグ

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